ポール・オースター(柴田元幸訳)『インヴィジブル』
ポール・オースターの新作と思ったが、原書は2009年刊行らしい。10年前だ。それでも、現在邦訳されている小説の中で一番新しいことは間違いない。
第1部は語り手アダム・ウォーカーが1967年におきたルドルフ・ボルンという興味深い人物との出会いと、そのことによっておきる偶発的な事件の一部始終を物語る。第2部以降も基本的にはアダムの物語が続いてゆくわけだが、第2の語り手が登場する。アダムの学生時代の友人ジェームズ・フリーマンだ。アダムは余命幾ばくもない状態でこの手記を書いていて(結局亡くなる)、その手記をジェームズに託す。小説の地の文と思っていたのは、実はジェームズによって編集された(さしさわりがないように固有名詞を置き換え、不完全な部分を補完する)ものだったのだ。いわゆる「信頼できない語り手」問題がここにも浮かび上がるわけだが、意外なことに、実は全然信頼できるのだ。信頼できないのは実のところ一箇所だけ。第2部に人によってはショッキングに思える描写があるのだが、それを関係者は事実でないと明確に証言している。もし、それがその通り虚偽であったのなら、なぜアダムがそんなことを書いたのか動機が気になっている。
実は最後までそれがほんとうに虚偽かどうかも動機も明らかにならない。考えてみると、それが真実であろうが、虚偽であろうが、物語の他の部分にはまったく影響しない。それはインヴィシブルでいいのだ、ということが、アダム、そしてオースターのメッセージではないだろうか。他方、もうひとりの重要人物、ボルンについて最後の最後に意外な事実が明らかになる。彼が年上で財産も美貌もあるわけではないエレーヌと結婚しようとした隠された動機だ。彼がアダムに仕事を持ちかけた動機も実はそこにあるのかもしれない。こっちはヴィジブルになったわけだ。
ボルンのしたことは決して許せることではないが、どうも憎む気にならなかった。彼自身の基準で善くあろうとはしていたのだ。それがひとりよがりなものであったとしても決して押しつけることはしない。
ラストのインヴィジブルだったものが音とともにヴィジブルになるシーンは美しい。
この音はこれからもずっと私とともにあるだろう。一生ずっと、どこにいて、何をしてしていようとずっと私とともにあるだろう。
近年のオースターの作品ではいちばんよかった。
★★★