残雪(近藤直子訳)『黄泥街』

黄泥街 (白水Uブックス)

害虫、害獣、糞尿、臭気がてんこ盛り。ひょっとすると黄泥街で一番リアルなのはそういう汚穢なのかもしれない。

少なくとも登場する人間よりはリアルだ。王四麻はいなくなったあと元々存在していたのかどうかさえわからなくなるし、救世主的な崇拝の対象となる王子光も「いったい人間であったのか、むしろ一条の光であったのか、はたまた鬼火であったのか、誰にもしかとわからなかったからだ」と書かれている通りだし、上部の権力者である区長として登場する人物も、その正体ははっきりしない。生と死すら曖昧だ。胡三じいさんは死んだあとも歩きまわって話している。

住民同士で話していても、自分の関心事をスローガンのように繰り返すばかりで、ほとんど会話として成立してない。そのくせ断片ばかりが一人歩きして勝手に解釈されデマとなって蔓延する。

なぜか訳者のあとがきや併録されている試論では言及されてないのだけど、政治的な風刺の意図があって書かれた物語であることに間違いはないだろう。作者の残雪によれば、いわゆる「現実主義」の形で書き進めていたものを、途中で現在見られる形に書き改めたそうだが、その背景には自己検閲的な事情があったのかもしれない。おそらくそれは文化大革命だ。実際、作者の父親は収監され、彼女は小屋でひとり暮らしを強いられたそうだ。そのときの経験が、つかみどころがなく不条理としかいいようがないこの作品を形作っているのだろう。文化大革命がどういうものなのだったのか、リアルに語られるよりその凄まじさが想像できた気がした。

ただ、黄泥街の不幸は、上から押しつけられたものではなく、住民自らが招いたもののように描かれていた。このあたりどこまで史実に忠実なのかわからないけど、もしそういう面があったとすると、会話が成立しなかったり、デマが蔓延するのは、SNSがまさに同じではないか。SNSは現代の文化大革命かもしれない。

★★