久生十蘭『魔都』ebook

魔都

久生十蘭の代表的な長編小説。舞台は1934年の大晦日の夜から1935年1月2日未明まで20数時間の東京。日本滞在中の安南国皇帝の愛人が自宅アパートから転落して殺され、当初犯人と目された皇帝が誘拐される。フランス大使が謁見にくる時間までに皇帝を発見しないと日本政府はのっぴきならない事態においこまれる。この間の関係者それぞれの動きを複数の人物の視点から描いている。

ひょんなことから事件に巻き込まれ皇帝の代役をさせられる三流新聞の記者古市加十、捜査の指揮を執る堅物真名古警視、皇帝を慕う縫子の娘花、それぞれ思惑がありそうな被害者と同じアパートの面々、怪しい動きを見せる警視総監……。

語り手がユニークだ。あくまで匿名の語り手なんだけど、けっこう自分の存在を前に出して融通無碍に語る対象を選択し論評する。けっこう物語はいきあたりばったりで回収してない積み残しも多いんだけどこの語り手の存在で一貫性が保たれている気がする。

当時の東京の風景や風俗の描写がおもしろい。主に銀座や日比谷だ。地下のかつての用水路を探検するシーンもある。街はけっこう華やかだし、フリーセックスもありで享楽的な描写があったりして、1937年から1938年までという太平洋戦争直前の時期(日中戦争ははじまっていた)に連載されていたことが信じられなくなる。ここに描かれたものもほとんど空襲で灰燼に帰してしまうのだ。鳴き声をあげるとされた日比谷公園の鶴はどうなったかと調べてみたら健在だった。何度か通り過ぎてはいると思うが注意を払わなかった。今度じっくり見てみよう。