ジョーゼフ・ヘラー(飛田茂雄訳)『キャッチ=22』
モンティパイソンみたいなナンセンスでシュールなユーモア。本国アメリカではそれほど売れなくてイギリスでベストセラーになったのもうなずける。このユーモアに最初にやにやしながら読んでいたのだが、いや実はこれはユーモアじゃなくて(小説の中の)事実に即しておきたことをそのままのカフカ的な不条理な状況を描いていることに気がつかされ、背筋が冷たくなってくる。
舞台は第二次大戦中のイタリアピアノーサ島。主人公ヨッサリアンたちの米空軍部隊はそこに基地をかまえイタリア本土を爆撃する。すでに戦況はほぼ決しているが上層部の評価と自分の出世のことしか目にない上官キャスカート大佐は各人に割り当てられた規定出撃回数をどんどん引き上げていき隊員をアメリカに帰そうとしない。そうこうするうちにヨッサリアンの仲間たちは次々と戦死あるいは奇妙な死や消え去り方をしてゆく。ヨッサリアンは公然とこれ以上の出撃を拒否し反抗する……。
反戦といえばその通りだけど、さらに広く人間社会の不条理を風刺している気がする。M&Mカンパニーを指揮して恩恵と混乱をもたらすマイローなんて擬人化した資本主義そのものだが、タイトルのキャッチ=22(キャッチには軍規という意味と罠という意味がかかっている)こそがいわばその不条理の象徴だ。人を矛盾で身動きとれなくさせ、破壊や虐待の理由に使われる。
キャッチ=22 が存在しないことを彼は確信していたが、だからどうなるというものでもなかった。重要なのは、だれもがその存在を信じているということだった。そして、それははるかに都合の悪いことだった。というのは、それをあざけろうにも論駁しようにも、非難しようにも、批判しようにも、攻撃しようにも、修正しようにも、憎もうにも、罵ろうにも、唾を吐きかけようにも、ビリビリに破り捨てようにも、踏みつけようにも、焼き払おうにも、その対象となる物件も文書もなかったからである。
カフカ的な不条理がいちばん強いのは36章「地下室」だ。従軍牧師が身に覚えがない罪で地下室に連れ込まれ訊問される。あまりにもリアルで読んでてぞくぞくした。牧師本人しか知らないはずの尋問者の将校の顔をヨッサリアンが知っているとさりげなくふれるシーンがあって、実はすべてがヨッサリアンの妄想の世界の出来事かもしれないという疑念がわき上がってくる。
ラストで単なる馬鹿馬鹿しいギャグのひとつだと思っていたことが重要な伏線であったことが明らかになる。ええ、そこかという感じだった。なんだか小気味よくてさわやかな読後感が残ってしまった。
そういえば戦争をテーマにしていることと物語が時間軸をいったりきたりするところがヴォネガットの『スローターハウス5』と共通している。こちらが1961年で『スローターハウス5』が1969年なので参考にしているとしたらあちらの方だ。どちらも映画化されている。