カーソン・マッカラーズ(村上春樹訳)『結婚式のメンバー』

結婚式のメンバー (新潮文庫)

冒頭の「緑色をした気の触れた夏」という一節にいきなり心をつかまれた。

なかなか読み進められなかったのは、主人公である12歳の少女フランキー(これは第1部の呼び方。第2部はF・ジャスミン、第3部はフランセスとパートごとに呼び名が変わる)が兄の結婚式のあと生家を離れ兄夫婦と一緒に世界中を回るという妄想に取り憑かれ、それを初めて出会った人に公言して回るというあまりにも幼稚な行動をすることについていけなかったからだ。また、彼女をもっと歳上だと勘違いした兵士に誘われてホテルの部屋に入るなど他にも無思慮なことをして危ない目にあっている。

しかし、それは友だちがいずどこにも所属してない孤独感から生まれたもので、膨れ上がってしまったのは彼女が「性」というものをまったくわかっていなかったからなのだ。家出して途方にくれながら彷徨う真夜中の路上で、天啓のように彼女は「性」の仕組みを悟る。それで彼女の妄想と子供っぽい全能感は消え、友だちが見つかることによってふつうの少女と同じような夢を抱くようになる。でも、それが成長かといえばそうではない気がする。この小説は成長物語ではない。

アメリカ南部の魔術的な風土と真夏の淀んだ空気を背景に、家の台所で6歳の従弟ジョン・ヘンリーと家事をしにくる黒人女性ベレニスと過ごす無為で退屈な日々。彼女はその中で人間を閉じ込める本質的な孤独に気がついたりする。それは二度と戻ってこない特別な時間だった。

登場するシーンは少ないが、ベレニスの弟ハニーが印象的だ。頭はずば抜けていいのに、何をしてもものにならずついには破滅してしまう。彼とジョン・ヘンリーの二人がこの作品になんともいえない余韻を残している。

最後に気に入ったフレーズを二つ。

闇が深まりつつあるその時刻に人が口にする言葉は、悲しくも美しい響きをまとうことになる。たとえその言葉の内容に、悲しく美しいものなんて何ひとつなかったとしてもだ。

それは台所の物の輪郭が暗くなり、人の声が花開く時刻だった。彼らは柔らかな声で語り、それは花として咲いたーーもし響きが花であり、声に咲くことができたとしたらだが。

美しい!