佐々木敦『ニッポンの文学』ebook

ニッポンの文学 (講談社現代新書)

ニッポンの思想』、『ニッポンの音楽』に続いてのシリーズ3作目。

タイトルの「文学」は狭義の方つまりいわゆる「純文学」を指しているのだが、紹介している作品はエンタメを含む小説全般だ。本書が目指しているのは次の2点だそうだ。

  • 「文学」と呼ばれている小説と、「文学」とは見なされていない小説を、同じ視座のもとに扱うこと
  • 「文学」と「文学以外」という区別を超えた「日本現代小説史」を提示すること

では、その「文学」と「文学以外」を区別するポイントはどこにあるのだろうか。この問いの答えはあっさりプロローグで明かされる。芥川賞の対象になっているのが「文学」だ。芥川賞は「文芸誌」と呼ばれる数個の雑誌に掲載された作品から選ばれるので、つまりは「文芸誌」に掲載された作品が「文学」である、要するに「文学は文学である」という身も蓋もないトートロジーしか今や可能ではないのではないかという問題提起から本書は始まる。

紹介される時代は、先行する二冊と足並みを揃えて、概ね1970年代末の村上春樹デビューから現在(本書が書かれた2015年)までだ。村上春樹は年代を超えて本書のあちこちに名前が登場していて本書の主役の一人と言っていいしそれが自然なことだと思えるが、デビュー当時は完全なサブカルチャー扱いだった。江藤淳が村上龍をサブカルチャーと呼んで酷評した話が第六章に出てくるが、村上春樹はさらに外側だった気がする。それがいつの間にか中心にきてしまっていることが「文学」の変遷(ある意味凋落)の象徴な気がする。

最近、翻訳小説を中心に読んでいるので、日本の小説の話についていけるか心配だったけど、取り上げられているのは結構読んだ作品が多くて引き込まれた。読まなくなった作家、今でも読んでいる作家を振り返るとおもしろい。円城塔は一貫してほぼ翻訳小説として読んでいるし、舞城王太郎を読まなくなったのは結局「愛と勇気」についていけなくなったからだ。ジャンルとしてはミステリーの中の新本格といわれる作家の作品がほぼ手つかずなことに気がついた。読んだら絶対はまるはずだが、これまでずっとスルーできてしまった。

今や「文学」はSFやミステリーなどのジャンルの一つにすぎないというのはほんとうにその通りで、その凋落がかえって外部から新しい風を呼び込んでいる。このところ「ニッポンの文学」とはご無沙汰気味だったけどまた読んでみようかという気になってきた。そのためのブックガイドとして本書はとても役立つ。