アントン・チェーホフ(神西清訳)『桜の園・三人姉妹』
先日地点という劇団の舞台で、チェーホフのマスターピース『三人姉妹』と『桜の園』をみてとても刺激的だったのだけど、登場人物やセリフが大幅に省略されていたし、演出がとにかく個性的だったので、オリジナルをちゃんと確認しておかなければと、本書を手に取った。
『三人姉妹』はすでに内容を把握していたし、ここで触れたこともあるので、今回は『桜の園』について書こう。
桜の樹がたちならび春(ロシアが舞台なので5月)には美しい花を咲かせるその領地は桜の園と呼ばれていた。そこに恋人とともにパリにいっていた女主人ラネーフスカヤが5年ぶりに帰還する。しかし、桜の園は借金の抵当に入り、日々の生活費にも事欠くありさまだった。しかし、ラネーフスカヤとその家族はその現実を直視しようとせず、過去の感傷にひたりながら漫然とこれまで通りの浪費を繰り返す。
結局領地は競売にかけられ、かつての小作人の息子で今や豪商になりあがったロパーヒンが手に入れ、別荘地として貸し出すことになる。桜の樹は伐られ、館は壊され、ラネーフスカヤの一家は領地を出ていくことになる。
ストーリーだけをかいつまむと悲劇のように思えてしまうけど、舞台の上でおきるのは可笑しな出来事ばかりだし、涙を流して悲しむ登場人物もいわば自業自得で同情しにくい。四幕の喜劇と戯曲に書かれているとおり、たしかに悲劇ではなく喜劇なのだ。
地点の舞台には登場しなかった脇役たちが個性的でおもしろい。二十二の不幸せと呼ばれ、身の回りで不運なことばかりおきる執事エピホードフ、耳が遠くてとんちんかんなことばかりいう87歳の老僕フィールス、家庭教師シャルロッタの鮮やかな手品。
あと、途中と最後の2度聞こえる、どこか遠くで弦がきれたような音は、まったく正体不明で不気味なんだけど、ある意味古い秩序が崩壊する音でもあるし、新しい時代がやってくる音でもある。
『三人姉妹』でもそうだったけど、チェーホフの戯曲は過去、現在、未来という3つの時制の描き方が一貫している。過去は感傷の対象だけど、その感傷を肯定することはなく、どこか罪深いものとして描かれている。未来はとにかく希望にあふれた世界だ。そしてその間の現在はつらくて味気ない世界。そこでの正しいことは、働かなくては、働かなくてはね、となんどもなんども呪文のように繰り返されるように、とにかく働くことだ。それは、何世代もあとの子孫たちが手に入れる輝く未来のためで、それこそがチェーホフが考えた倫理ということなんだと思う。
チェーホフは、なんらかの事情で労働から疎外されている人々の悲しみも描き出している。その状態ではもう運命に翻弄される以外なくなってしまうのだ。
というわけで、チェーホフはいう、とにかく働けと。
お勧め★