森山大道『犬の記憶』、『犬の記憶 終章』
森山大道本人の言葉を借りるなら、「自身の記憶に基づき、僕を通り過ぎた時間にあった幾多の出会いや出来事について、撮り、記すこと」というテーマはどちらの本も共通しているが、タッチはかなり違っていて、1980年代はじめに書かれた『犬の記憶』は、微細なひとつひとつの記憶の根源をクローズアップで深くえぐっていくような力のこもった文章だったが、それから15年おいた『終章』では、森山大道の半生を俯瞰して、関わった街や人物についてナチュラルに語っている。どちらも彼の写真同様、陰影に富んだ魅力的な文章で、思わず引き込まれてしまう。森山大道に限らず、おそらく、撮った写真と書いた文章は不可避的に同じ強さと弱点をもってしまうのだろう。
引用しがいのある文章ばかりだが、印象深い以下のパラグラフを載せる。
「国道を疾駆していると、一瞬の出会いののちにはるか後方に飛びすさっていくすべてのものに、とりかえしのつかない愛着をおぼえていいしれぬ苛立ちにとりつかれてしまうことがしばしばだった。(中略)。垣間見、無限に擦過していくそれら愛しいものすべてを、僕はせめてフィルムに所有したいと願っているのに、ほしいもののほとんどは、いくら撮っても網の目から抜けこぼれる水のようにつぎつぎと流れ去ってしまって、手元にはいつも頼りなく捉えどころのないイメージのみが、残像とも潜像ともつかない幾層もの層をなして僕の心のなかに沈み込む」。
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