ゴーリキイ(中村百葉訳)『どん底』

どん底 (岩波文庫)

ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出の舞台をみて、どの部分が脚色でどの部分がオリジナル通りなのか知りたくなって、原作を手に取った。結論としては、ストーリーや重要なセリフの持つ意味などは変えられていないが、細部にはかなり手が入っていた。ギャグの部分が全面的に書き換えられているのは当然として、ロシアというローケーションや20世紀はじめという時代をあいまいにするため固有名詞が変えられたり消されたりして、登場人物たちの過去のエピソードも現代的になっている。また原作で指定されている劇中歌もなぜか有名なロシア民謡カチューシャにすげかえられていたのだった。

もっとも大きいのは、大河内浩が演じた衛生局の男、実は男爵の元執事の存在で、原作にはそんな人は出てこない。彼のせいで、終盤わざとらしいというか本質からそれたような盛り上がりをみせるんだけど、やっぱり嘘(というのも変だけど)の存在だったか。まあ、この戯曲のテーマのひとつは「真実」と「嘘」の対比なので、そういう嘘はぜんぜんOKだろう。というか、この物語自体、真実嫌いの老人ルカ(舞台では段田安則が好演していた)がついている嘘なのかもしれないのだから。

そのあとに続くエンディングは芝居も戯曲も同じで、ある登場人物の死の報せで幕が閉じる。老人ルカのついた罪のない嘘がかえって、彼を真実にめざめさせ、ちょうど第三幕で老人が話した「真実の国」の男と同じように自ら死を選んだのだ。なんだかとても皮肉な救いのないエンディングなのだ。しかも、そこにあるのは悲しみじゃなく滑稽さで、そのことがよりいっそう救いから遠ざけている。だからこそ、やっぱり嘘は必要で、その嘘は芝居や戯曲の中だけでなく、外にもちりばめられる必要がある。

このエントリーは本の紹介のはずだが、演劇のことばかり書いてしまった。