古川日出男『二〇〇二年のスロウ・ボート』
本書の「ルーツ」である村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』は、短編集のタイトルになるくらいで初期の代表作にちがいないのだけど、なぜか何度読んでも内容を忘れてしまう。『二〇〇二年』を読むにあたり、まず『中国行き』の方を読み直してみた。
「僕」の人生で出会った三人の中国人に関する回想を、1980年バブル前夜の東京に重ね合わせ、「ここは僕のための場所でもない」とつぶやく。「何処にも行けるし、何処にも行けない」、「中国」とはそんな状況からの出口の象徴、実在しない架空の国だ。1980年にはまだそういう意味をもつことが可能だったのだ。
さて、ようやく本題の『二〇〇二年』に入ると、副題の『中国行きのスロウ・ボートRMX』が示すように、『中国行き』のパロディーでも続編でもなく、リミックスだった。『中国行き』のエピソード、フレーズを切り貼りして、東京からの脱出をテーマにしたもうひとつの物語を作り上げている。違うのは『中国行き』では脱出は仮想的なものだが、『二〇〇二年』ではリアルに脱出を試みて、そのたびに手ひどく失敗する。『三人の中国人→三人のガールフレンド。世界の果ての小学校。逆回りの山手線。「考古学的疑問から出発する」、「両手はきちんと膝の上に置いておきなさい」、「僕には読める字もあり、読めぬ字もあった」、「どこにも出口などないのだ」、「何かしら不均一な永久運動のような」、「君が商売をやってるなんてね」、「こんなのこれが最初じゃないし、きっと最後でもない」、そして、「そして誇りを持ちなさい」。
『二〇〇二年』を読んでわかったが、『中国行きのスロウ・ボート』というのはジャズのスタンダードナンバーのタイトルだった。物語の中にSonny Rollinsが演奏する “ON A SLOW BOAT TO CHINA"が収められたCDが象徴的に登場する。今それをききながら書いている。