薬師院仁志『日本とフランス二つの民主主義 不平等か、不自由か』
「小さな政府」、「規制緩和」のような(新)自由主義的政策以外の選択肢がなくなっている日本の政治状況。民主主義を通して実現すべき目標には「自由」のほかに「平等」もあるはずなのに、日本では憲法の条文をみても「自由」ばかりが尊重されている。日本の左派勢力は「自由」と「平等」両方を実現する的なことをいっていたが、本来この二つは両立するものではなく、相反するものなのだ。そういうトンチンカンな左派が凋落するともに、アメリカの後追いをするように右派が「自由」にコミットしはじめ、日本は「自由」一色になってしまった。(ついでにもうひとつ日本で勘違いされているのが個人主義という言葉で、これは自分を含めた全個人を尊重する立場を指している。自分だけを尊重するのは利己主義というもので、個人主義とは相反するものなのだ。)
ヨーロッパの状況をみてみると、左派政党は堅調で、彼らは「自由」を制限して「平等」を実現する政策を実行している。右と左の違いは、「自由」と「平等」でどちらを重視するかのちがいなのだ。その一例として、フランスにおける民主主義の形が紹介されている。フランスの政権は現在右派がにぎっているが、それでも他国と比較すると十分左派的なのだ。教育費はほぼ無料だし、労働者の身分は手厚く保護されていて休暇も多い。その結果出生率もとても高くなっている。もちろん、いいことばかりでなく、ストライキの頻発や、日曜日に強制的に店が閉まってしまう不便さや、公共の場で宗教的表現ができない(イスラム教徒のスカーフ問題もその一例)という不自由さもあったりする。フランスを決して手放しで賞賛するのではなく、そういう選択肢があることを知っておいた方がいいというのが、筆者の主張だ。
日本が手本にしようとしているアメリカは特殊な一例に過ぎないということも書いてあって、アメリカは宗教国家なので、経済的な「自由」-「平等」の軸のほかに、宗教的な自由を認めない/認めるという軸があって、そちらの自由を認める側(民主党)がリベラルと呼ばれているのが誤解のもとだと書いてある。そういう意味では日本も宗教国家で、「日本教」という宗教(というかメタ宗教)を信じている人が右派に多い気がする。彼らは愛国心を日本教を信仰することだと思いこんでいるようで、それは違うだろうといいたくなってしまう。ほんとうに必要なのは、風土や文化を愛することでもなく、同じ社会を構成する人々に対する連帯心で、それはどんな社会にしてゆくにせよ必要なものなのだ。