並木美喜雄『量子力学入門 ―現代科学のミステリー―』
「世の中に不思議なものは何もないのだよ」と京極堂はいうけれど、量子はやっぱり不思議だ。
電子や中性子などの素粒子は波でもあるという。粒子のイメージだとある一点に凝縮して存在しているはずだけど、波だとその存在そのものが薄められて広がっていることになる。波だと考えてしまえば、位置と運動量を同時に確定できないという不確定性原理や、同時に二つの穴を通り抜けられるという現象も、当然といえるのだが、波を波として観測することはできず、ぼくらはそれをいったん粒子という形で観測することになる。何度も観測を繰り返すことにより統計的に、ようやく波という形がみえてくるのだ。
量子の最大の謎は、波として広がっていたものが観測によって収縮して粒子に変わってしまう(ように見える)というところにあり、これを「観測問題」という。本書は、量子力学の基本的な概念を紹介するとともに、この「観測問題」にスポットをあてている。
「観測問題」についてはさまざまな物理学者がいろいろな発言をしていて、中にはそれはないだろうというような極端なものもあるのだが、当の意見やそれに対する反論がさらに歪曲されて広がり、WWWで調べてみても混乱をきわめている。実際のところどうなのよ、というのが本書を手にとった動機だ。
まずは本書の中で「素朴コペンハーゲン解釈」とよばれる立場がある。とにかく観測すると波は消えちゃうんだよという投げやりな考え方だ。この立場にたつと時間を遡って波が消えるということも認めなくてはいけなくなる。
それに対してノイマンとウィグナーが唱えたのは人間の意識が波が収縮させるという説だ。かなり「とんでも」に足を踏み入れているような気がするが、当然のように反発も多く、シュレディンガーの猫というのもこの説に対する反論として提示された思考実験だったりする。そのことを踏まえないでシュレディンガーの猫を素朴にパラドックス扱いしているのをよく見かけるが、そうではなく猫の生死は当然人間の観察前に決まっているはずということが前提とされているのだ。
次に、SFファンにはおなじみの多世界理論。観測の度にありうる可能性の数だけ世界が分裂するという説だ。奇抜だが、個人的にはハードルの一番低い理論だと思う。本書では触れられていないが、多世界理論には観測して分裂するのではなく、もとから分裂した世界が平行して存在していて、それぞれの世界では確率的ではなく決定論的に現象が発生するというバージョンがあるはずで、そちらの方がより自然だ。粒子が波として観測されるのはほかの宇宙が干渉するからだという。これも量子力学の実験結果と何の矛盾もない。ただし、反証する手段がなさそうなところが問題で、科学的な仮説といえるかどうか微妙だ。
あと、つけたしのように環境理論。観測すると測定器のまわりの環境をあらわす波動関数が直交分解するから波が消えているようにみえるという説らしいが、よくわからない。
筆者は、さまざまな説を紹介するだけでなく、自らの立場を明確に打ち出している。観測することによりランダムな位相のずれが発生し、それが波を収縮させているように見せているという説だ。デコヒーレンスというやつだ。確かに一番もっともらしいと思うし、本書の中でも正しさを顕彰するための実験が提案されている。
この本の書かれたのは1991年なのだが、それから14年たった2005年現在まだ観測問題の決着はついていない。デコヒーレンスは有望な原因のひとつであり続けているが、まだ数学的に穴があるらしい。結局謎は残った。
「世の中には不思議でないものなどないんですよ」。