サローヤン(伊丹十三訳)『パパ・ユア・クレイジー』

パパ・ユーアクレイジー

少なくともこの日本では、サローヤンは徐々に忘れられつつあるようで、過去に文庫化されているはずの作品をほとんどみかけなくなっている。『パパ・ユア・クレイジー』が入手できるのも、作者のサローヤンではなく訳者の伊丹十三が最近なぜか注目されているからだ。でも、その訳はお世辞にいい訳とはいえない。

「そこでわたしはこの小説を翻訳するに当って、自分に一つのルールを課すことにした。すなわち、原文の人称代名詞を可能な限り省略しない、というのがそれである」とあとがきに書かれているように、直訳調のぎこちない文章になっている。しかも彼はもしそうしなかったら「遂には、少少風変わりではあるが、やさしくて物判りのいいお父さんの子育て日記という水準にとどまってしまっただろうと思われる」などという不遜なことを書いている。

確かに、10歳になったばかりの少年が、別居中の父親に預けられるというだけで、特にドラマチックなことはおきない作品だが、父親との機知に富んだ会話、見かけより遙かに多くのものをもっている、世界の中の小さなものたち。ある意味そこには生きるということのすべてがつまっている。

「天使は決して心の外には存在しないんだ、心の外にあるのはむしろわれわれなんだ。われわれは心の外にあり、また同時に心の中にもある。そして、時に、われわれのうちの誰かが天使になるわけさ」

そんな天使の一人サローヤンのことを忘れてはいけないと思う。もっといい訳でこの作品を読みたい。

★★