二人の関係

今回は物語を魅力的にしている、主役の二人、島津とヨーコの微妙な関係についてとりあげてみたいと思います。

社会に溶け込みたくない

タイトル直後の、島津の自宅に昔の同僚が集まっているシーン。ここでヨーコは客の名前を呼び間違えたことが原因でキレてしまいます。なんか二人の外の世界との関わり方をうかがう上で象徴的なシーンです。

ふつう結婚すると、二人で暮らし始めるだけではなく、二人そろってのコミュニティーへの参加を求められます。小さなところでは親戚づきあいとか、友人や同僚を家に招いてのホームパーティーとかがそうでしょう。ところが、二人はそういった外の世界との関わりを拒絶して、二人だけの世界に閉じこもろうとしているように見えます。実際にはそれぞれ仕事をもっているので、個々には社会関係が存在するわけですが、二人いっしょのときには、そういう外の関係をできるだけ持ち込まないようにしているということです。

これは特にヨーコの方に顕著で、島津の方は、それを受け入れるというか、そういうヨーコとの関係を守っていこうという意志が感じられます。

映画ではカットされていますが、島津の家に訪ねてきた編集者阿波野がいみじくも「二人とも社会に溶け込みたくないと思ってるんじゃないですかね」というせりふが脚本にはあります。

夫婦ごっこ

それでは二人の関係がお互いがお互いだけを見ている濃密なものかというと、そんなことはなく、二人の間には「ホントの夫婦」にならないような斥力が働いているようです。

部屋をただ無意味に歩き回るヨーコが、じっと見ている島津に向って唐突に「あなた、私に、やさしすぎやしない?」…「見ないで欲しいのよ、私のことを、そんなに」といったりしています。

また、お互いに、飛蚊症などの問題にしなければならないシリアスなことを、あえて触れないようにしています。

これもカットされていますが、脚本には、島津自身が「時々、夫婦ごっこをやっているような気になってきて…(中略)…お互いに問題にしすぎると、何て言うのかな、ホントの夫婦になってしまうような…」というせりふがあります。

ホントの夫婦というのは多分、二人の間の緊張感がない関係を指しているのだと思います。あえて緊張感を求めて、不器用な夫婦ごっごを続ける二人といったところでしょうか。

まとめ

二人の間の触れようとしても触れられないような微妙な距離が、この映画を魅力的にしているポイントだと思います。