岩松了『東京日和』から竹中直人『東京日和』へ

『東京日和』の脚本は岩松了。でも、岩松了が書いた脚本(『映画日和』[ISBN4-8387-0943-9]という本に収録されています)と映像を比較するとかなりちがいがあります。ちがいといっても、脚本の方にあるシーンが映画ではカットされているというパターンが大部分なのですが、そのちがいをみるだけでも監督竹中直人の意図が浮かびあがってきます。このページではそんなちがいのいくつかを紹介していきます。

冒頭の電話

映画では、島津が編集者の水谷(松たか子)に電話をするところからはじまる。ところが、脚本ではその前に『東京日和』の本の装丁について誰かに電話をしている。

‘’「うん、オレもどういうわけか、今年の夏はよくひまわりを見たのよ。Tシャツのプリントでも、よくひまわりを見たしね」…「ブーム?……困るな、ブームで表紙飾られちゃ……ぇ?テーマ?ああ、隠れたね……ところで、誰がやってくれるの、その装丁」

これから『東京日和』の本を出すという説明には十分すぎるくらいなっているが、特別な思い入れがあるはずの本に対して、ちょっとビジネスライクすぎるように感じる。映画では、水谷に対する電話の中に、脚本にはなかった、本のタイトルを『東京日和』に決めた、というせりふが挿入されている。

猫の名前

脚本では、荒木夫妻が実際に飼っていた猫の名前と同じチロだったが、映画ではチョロに変更されている。現実の荒木夫妻からできるだけ離れようという意思の表れだろうか。

ヨーコに名前の間違いを注意する人

島津の昔の職場の後輩が何人かマンションに訪ねてきている。その中の一人水谷(松たか子)の名前をヨーコは何度も「谷口さん」とまちがって呼んでしまい、そのことを訪問客の一人に注意されたということになっている(そういうシーンがあるわけではなく島津とヨーコの会話から窺い知れる)。注意した人は脚本では「鈴木」になっているが、映画では「平田」になっている。鈴木というのは女性で、平田は利重剛演じる男性だ。ヨーコが当然意識する水谷という女性のほかにもう一人女性がからんできて、関係性が散漫になることがいやだったのだろうか。考えすぎか。

子供服売り場

テツオというのはヨーコのことを「おばあちゃん」と呼んで慕う近所の男の子。テツオに着せるため、ヨーコは女の子向けの服を子供服売り場で買おうとする。DVDのおまけの未公開シーンには含まれているが、本編ではまるまるカットされている。このあとすぐテツオに服を着せようとするシーンがあるので、エピソード自体がなくなったわけではない。それでも、女の子用の服をどこから手に入れたのかがあやふやになっている。もし、このシーンが残されていれば、わざわざ店で買い求めたということが明らかになるので、ヨーコの心のあやうさをより際立たせる効果があったはずだ。

濡れたジョギングシューズ

昼間二人でジョギングをしていると急に雨が降り出してきた。それに構いもせず、石のピアノを連弾で弾いたりしているから、シューズはびしょびしょ。夜のベランダで二足のシューズを並べて乾かすシーンがあるのだが、おまけの未公開シーンになってしまっている。たかだか数秒で、たいしたシーンではないが、せっかく撮ったのに本編に含めなかった意図はよくわからない。

喫茶店での水谷との会話

中央線のガードの下で島津は偶然水谷に出会う。喫茶店さぼうるに入る二人。映画ではここでの会話の半分以上が省略されている。脚本では、ジュースをこぼした子供をたたく母親を見て水谷が「ああいうことって大きくなっても覚えてるんですよね。私、父親になぐられたの、今でも覚えていますからね」といったりとか、水谷に子供は作らないんですか、ときかれて、島津が、キミの方こそどうなんだ、結婚は、とやりかえしたりしているのだ。

レストランでのヨーコとの会話

街で偶然ヨーコの姿をみかけた島津はついあとをつけてしまう。ヨーコに花を渡す若い男(浅野忠信)の姿を見て、島津は心穏やかでなく、レストランにヨーコを呼び出す。島津は何気なく若い男のことを聞き出そうとするのだが、映画ではヨーコははぐらかしたまま結局何もいわない。ところが脚本では、あっさり花をもらったことを告白してしまっているのだ。柳川で島津が「オレたちは、とても仲のいい夫婦だと思われている……実際そうかもしれない……でも……」…「どうして隠してしまうんだろう。話題にしてもいいようなことを」というせりふに重みをつけるためにも、ここは絶対若い男のことはいわない方がいいと思う。

マンションを訪ねてくる阿波野

阿波野とは森田義光演じる編集者。水谷の引き合わせで一度酒を飲んだのだ。その阿波野が仕事の依頼に島津の住むマンションに訪ねてくる。入り口のところで、テツオの祖母がタクシーに荷物を積むのを手伝うシーンや、マンションのベランダで島津と会話を交わすシーンが脚本に含まれている。

会話の中で、島津はヨーコとの関係を率直に語る。「時々、夫婦ごっこをやっているような気になってきて……その、耳のことも……心配は心配なんですが、お互いに問題にしすぎると、なんて言うのかな、ホントの夫婦になってしまうような……」。これに対して、阿波野は、ふたりとも社会に溶け込みたくないって思っているんじゃないのか、と指摘する。

かなり鋭いつっこみだが、竹中直人は他人に夫婦のことをべらべら話すシーンを不自然に感じたらしい。映画の本編では、全てカットされている。

ヨーコの勤める旅行代理店の人間模様

ヨーコの上司の外岡(三浦友和)と同僚の宮本(鈴木砂羽)が不倫関係にあることはそれとなくにおわされているが、脚本では、匂いや服装に敏感なヨーコにいろいろ指摘されて、関係の発覚を恐れるシーンがある。ヨーコの職場での人間関係はうまくいっておらず、最終的に辞めることを求められてしまうわけだが、そのはっきりとした理由はこのシーンに示されている。映画でカットされた理由は、多分ヨーコの敏感さが少し病的に映ってしまうからではないかと思う。

小劇場の外

島津が偶然知り合った軍服姿の男は俳優だった。彼が主演の芝居をヨーコと二人で観にいくわけだが、脚本では、ヨーコが隣に座った女性の香水の匂いに耐え切れず、途中で抜け出してしまう。映画でカットされた理由は上と同じだろう。

マンションの外の噂話

ヨーコは学校を休んだテツオを夜まで連れまわし、マンションじゅう大騒ぎになってしまう。島津は、石のピアノのある場所で二人を発見し、連れ戻す。映画を見ながら、このあと、この件はどう決着がついたのかなと気になっていたが、脚本では、近所の主婦たちが「島津さんとこの奥さんが…」と噂話をしている。やはり、すっかりばれてしまったらしい。

柳川の一輪車のおじさんと川下りの新郎新婦

柳川の宿で、白昼、障子の影で二人がキスをするシーンがある(画面では見えないがほんとうにしていたらしい)。ヨーコの手が障子のヘリをぎゅっとつかむのがアップになってとてもすてきなシーンだ。脚本では、ガラス戸ごしにこの光景を見ていた一輪車のおじさんが、変なところに一輪車をぶつけるシーンがある。

また、脚本では、川下りをする二人の舟と、新郎新婦をのせた舟がすれ違う。

一輪車のおじさんと川下りの新郎は、両方とも岩松了が演じることになっていた。どうでもいいが岩松了は最近画面に出すぎだと思う。

まとめ

こうしてみてみると、脚本にあったシーンをカットすることによって、若干説明不足になっていることがわかります。カットしない方が、話のつながりは見えやすい。でも、逆にそのことによって、二人だけの世界を描いた一種のファンタジーに仕上がったような気がします。