『ピランデッロのヘンリー四世』
作:ルイジ・ピランデッロ(英訳:トム・ストッパード、日本語訳:小宮山智津子)、演出:白井晃/シアタートラム/指定席5000円/2009-02-28 14:00/★★
出演:串田和美、秋山菜津子、千葉哲也、白井晃、長谷部瞳、中山夢歩、櫻井章喜、反田孝幸、大林洋平、佐藤卓、池田六之助
予備知識なしでいったので、以下に書くことはすべて劇場で配られたリーフレットや Wikipedia の受け売り。
ルイジ・ピランデッロは1867年に生まれ1936年に亡くなったイタリアの劇作家。ノーベル文学賞を取っていて、いわばイタリア現代演劇の父でもいうべき人だ。『ヘンリー四世』は彼の1922年の作品で、今回上演するのはそれをトム・ストッパードというイギリスの劇作家(『未来世紀ブラジル』など映画脚本にも携わっているらしい)が翻訳・構成したものをさらに邦訳したもの。
ヘンリー四世というとイギリスの王様の話かと思ってしまうが、11世紀の神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝ハイリンヒ四世のことだ。ハインリヒは英語読みだとヘンリー、フランス語読みだとアンリ、イタリア語読みだとエンリコなのだ。固有名詞の呼び方を変えるのは違和感あるが、あちらの習慣なので仕方がない。トム・ストッパードの英語版のテキストに基づいているので本公演では「ヘンリー」で通されている。この一文でも、それを踏襲しよう。
さて、ヘンリー四世だが、彼を有名にしている歴史上の出来事はいわゆるカノッサの屈辱だ。当時、聖職者の任命権をめぐって教会と国家の間に争いがあり、ヘンリーは強引に司祭の任命を行うが、諸侯から背かれ、教皇から破門されてしまう。せっぱつまった彼は教皇に直談判しようとするが、身の危険を感じた教皇はトスカーナ女伯マティルダの居城カノッサ城に避難する。ヘンリーは懺悔服に身を包み3日間カノッサ城の前の雪中に立ち尽くして教皇の許しをこい、ようやく破門がとかれる。
と、ここまでが前提となる説明。
この舞台は、仮装パーティーでヘンリー四世に扮したまま落馬して頭をうち、自分がヘンリー四世だという妄想にとりつかれた男が主人公。それから20年が過ぎてもなお彼は親族の庇護の元、屋敷を改装し、従者を雇い、妄想の世界に生き続けている。そんなある日、彼の亡き姉の遺言に基づいて、精神科医が彼を治療するため、彼のかつての恋人、その愛人(彼の昔の恋敵でもある)、彼女の娘、彼の甥(二人は結婚を控えている)ともども屋敷を訪れる。彼の妄想にあわせて、それぞれの役割を演じる彼ら。ちぐはぐな問答のあと、彼らは思い思いの感想をいだくが、そんな彼らを彼はあざ笑っていた。そう、彼はすでに8年前、正気に返っていたのだ……。
豊かな虚構と、うすっぺらの現実。前者を選ばざるをえない人間の悲劇といったところだろうか。そして、最後には後者の選択肢を完全になくしてしまう。巧みに構成された物語だ。ただ、ぼくは、現代日本の劇作家のどちらかといえばアドホックな物語に親しみすぎているせいかもしれないけど、こういうドラマツルギーにしっかりと貫かれた作品をみると、ちょっと息苦しさを感じてしまう。もっと自由にいきればいいんじゃないかと、登場人物に声をかけたくなってしまう。
主演の串田和美さんはやはりすばらしかった。あと、白井晃さんをようやく舞台の上でみることができたのもうれしい。
開演してしばらくして、結構年配の男性が席を探している様子で通路を歩いていたのだが、そのまままっすぐ進んで、舞台の上にあがってしまった。一瞬驚いたが、彼も登場人物の一人だったのだ。とてもおもしろい演出だった。
カノッサの屈辱の印象からヘンリー四世を挫折をかかえたまま表向き静かに内面は激しく生きた人間と思いこんで、そこに美学みたいなものを感じていたけど、調べてみたら歴史的にはヘンリー四世はカノッサの屈辱の直後反攻に転じ、やがて、教皇をローマから追い出し、マティルダの領地を奪いとることに成功している。かなり狡猾で、卑屈なことができる人間だったと考えた方がよさそうだ。むしろ人間として興味を感じたのはトスカーナ女伯マチルダの方で、「マティルデ・ディ・カノッサ - Wikipedia」を読んで、もっと詳しく彼女の人生を追いかけてみたくなった。