乗り物と様相論理
現代の政治的立場はおおよそ次の三幅対であらわされるという。
- コミュニタリアニズム(communitarianism)
- 個人の自由より国、民族等共同体の伝統的な価値観を重視する、共同体あっての個人という考え方。
- リベラリズム(liberalism)
- 立場の入替可能性(ぼくはきみだったかもしれないし、きみは彼または彼女だったかもしれない)に基づいて異なる価値観への寛容と機会の平等のための制度をととのえていく。市場における政府の役割を重視する。 リバタリアニズム(libertarianism)
- 自分の身体は自分で所有しているという考えに基づいて、個人の最大限の自由を主張し、政府の介入を最小限に止めようとする。実質的には経済的自由に重きが置かれていて、市場原理を重視し、所得の再分配を認めない。
ということを前提知識として、いくつか比喩を思いついたので書いてみる。
まずは乗り物にたとえる。
コミュニタリアニズムは一つの大きな船。みんな一緒にでかける。いたせりつくせりだけど、船から外に出る自由はなく窮屈だ。
リベラリズムは、電車やバス等の公共交通機関。誰でも手軽に利用できるけど、目的地までいくのにはちょっと遠回りをしなければならないし、知らない人と顔をあわせなければならない。
リバタリアニズムはマイカー。マイカーを購入して維持することができれば、個室の中で自分が思う経路で自分が思うところにいける。事故を起こさない限りはほかの人が何をしてようがお構いなし。自己責任の世界だ。
船はフェリーのようにマイカーを乗せることができる。というのがコミュニタリアニズムとリバタリアニズムが結びついてリベラリズムが挟撃されている現状の説明。
次にいま勉強中の様相論理でたとえてみよう。様相論理については詳しくはこちらを参照。□=必然(想像可能なすべての世界で成り立つ)、◇=可能(想像可能な少なくとも1つの世界で成り立つ)という様相を論理式の中に含めることができる。
- i
- ある個人
- I
- アイデンティティ。「わたし」と呼ぶものの集合。
- C
- 共同体。「わたしたち」と呼ぶものの集合。
とすれば以下のような論理式で定式化できそうだ。
- コミュニタリアニズム
- □ i ∋ C (個人は必然的に共同体に属する)
◇ i ∋ I (個人が今の自分自身であることは可能である) - リベラリズム
- ◇ i ∋ C ∧ ◇~i ∋ C (個人が(ある)共同体に属することも属さないことも可能である)
◇ i ∋ I ∧ ◇~i ∋ I (個人が今の自分自身であることもそうでないことも可能である) - リバタリアニズム
- ◇ i ∋ C (個人が共同体に属することは可能である)
□ i ∋ I (個人は必然的に今の自分自身である)
実はコミュニタリアニズムとリバタリアニズムは矛盾していないが、どちらもリベラリズムとは矛盾する。というのもまた挟撃されている現状の説明だ。