ルサンチマン~テロリズムの誕生

朝は仲間由紀恵に起こしてもらっている。

正確には「声に」というべきで、時間になると携帯電話のアラーム機能が「おはようございます」と仲間由紀恵の声で叫ぶのだ。もちろんそれは、一種の苦行といっていい朝の不本意な目覚めを少しでも楽しくしようという、創意工夫の賜なのだけど、結局のところ焼け石に水で、それどころか思わぬ副作用をもたらすようになってきた。鬱々と心の底にふりつもってゆく暗い負の感情。それはつまり仲間由紀恵に対するルサンチマンだ。

「おはようございます。(はあ?)……朝ですよ。早く起きてください。(とりあえず、わかった。)……朝ですよ!(わかったって!)…早く起きないと遅刻しちゃいますよ。(おいおい、どうせ起こすのなら起きないとどんなひどい目にあうかじゃなくて、起きるとどんないいことがあるか、その方向で説得してほしい!)……お願いだから早く起きてください。(結局最後は理論的な説得は放棄して、自分が位置しているポジションに頼る「お願い」という作戦か。仲間由紀恵だと思ってつけあがるな。まだ寝てやる。)……おはようございます。……」以下繰り返し。

括弧内はぼくの心の声だ。朦朧とした頭でこんな風に考えてしまうのは、セリフの問題ではなく、仲間由紀恵の口調に原因があるように思う。そこには苛立たしさがあるのだ。なかなか起きようとしないものに対する苛立たしさ。それは正当なものかもしれないけど、いずれにせよ苛立たしさの原因はぼくには共有されず、苛立たしさそのものが共有されてしまう。それで、ぼくは、乱暴にボタンをガシャガシャ押して、彼女を抹殺する。結局、勝つのはぼくだ。

今日、久々に早起きして、教育に参加していたら、突然、仲間由紀恵が叫びだした。虐殺を告発するような鋭い声で。

テロだ。やられたと思った。