大きな揺れの後で
ひとまわり揺れが大きくなったときにオフィスの天井を見上げると蛍光灯が今にも消えそうにちらついていて、そのときなぜか鼻のあたりがつんとした感覚をしばらく忘れられそうにない。
それから1週間以上経過したわけだが、ほとんど自宅にいたこともあって、あっという間に過ぎ去ってしまった。一方、地震以前のことを思い出そうとするとはるか昔のことに思える。あの揺れを境に時間の尺度ががらっと変わってしまったようだ。
現状はまだまだ撤退戦。度重なる余震、原発事故、そして電力不足で、日常は一向に回復しない。安心したくて情報を求めるのだが、その情報がかえって不安をあおる。でも、情報を求めずにはいられない。ちょっとした中毒症状だ。眠りが浅くて、身体はさほど疲れていないはずなのにいつも眠くて仕方がない。そんな状態が続く。
地震そのものによって半分以上崩れ落ちた精神的ゆとりというか自分とまわりの世界との間の緩衝材はその後もどんどんそぎ落ちていって、心がちょうど虫歯の菌に蝕まれて神経がむき出しになった歯のようになってしまった。恐怖というような激しいものではない。もっと静かで不安と無気力のまじりあったもの。それがそのむき出しの神経に風としてふきつけられ、かなりダメージを食らった気がする。
そんなある一日。買い物のあと、公園のベンチに座って日向ぼっこをした。目をつむると、いろんな音が耳に流れ込んできた。おじさんがハトにエサをあげる音、ハトの羽ばたきとさえずりの立体音響、近づく足音、遠ざかる足音。そして、遠くでなにやら緊急を告げる音……。でも、心地よい眠気がやってきた。頭はとてもさえている。
いつの間にか首に巻いたマフラーが風に飛ばされていた。
今、リハビリのつもりでこの文章を書いている。