偶然の風景―写真術2

不遜なことに前回写真の撮り方について書いてみたが、今回はその続き。

前回写真に映るのは見ているものじゃなくて視線が映ると書いたが、その視線を逆にたどると眼そして脳にいきつく。視線を生み出したのはこの脳の中にある意図だ。いい写真であることの条件は視線がシャープであることで、視線がシャープであるためには意図が明確でなくてはいけない。

ただし、意図が明確であるだけでは、リアリティのないこじんまりとした写真になってしまう。いい写真を撮るためにはさらに偶然の力を借りる必要がある。偶然というのには二種類あって、ひとつはほんとうに偶然その時間その場所に居合わせた人や物で、あともうひとつは、その場で判断することのできないさまざまな条件(アングル、光の加減)だ。偶然はある場合に写真をひきたててくれるが、別の場合にはノイズになる。完璧にシミュレーションをおこなって、都合がいい偶然がおきたときにシャッターをおすことができれば文句なしだが、そういうわけにはなかなかいかない。

そこで、気に入った対象が見つかったときは、アングルを変えて何枚か撮るようにしたほうがいい。その中でベストのものを選べば、統計的に写真のレベルがあがるし、さらに、それを繰り返すことにより、学習効果で何がよくて何が悪いかをその場で判断することができるようになる。つまり事後的なシミュレーションができるのだ。

これは写真についての話だけど、実は表現全般にあてはまることかもしれないと、今こうして文章を書きながら思っている。文章も視線がシャープなほうがいいし、適度に本論からはずれたことを混ぜ込んだほうが面白くなる。それはいわば偶然の力だ。そんな風に、このところ写真と文章の共通点について考えている。写真をきわめれば文章もきわめることができるのかもしれない。