大澤真幸『文明の内なる衝突 テロ後の世界を考える』
以前から読みたいと思っていたのだが、どういうわけかどこの本屋でも見かけなかった。先日、新宿の紀伊国屋でようやく入手することができた。
9・11のテロに関する論考。資本主義がイスラムではなくキリスト教文明の中から生まれてきたことの必然性を説きつつも、今勃興しているイスラム原理主義は、むしろ資本主義の中から生まれてきたものではないかといっている。つまりこのテロとそれに引き続く戦争は、文明と文明の衝突としてだけではなく、同時に同じ資本主義という文明の内部の衝突としてもとらえられるべきだというのが、まずひとつの論点だ。
このあたりは、著者おとくいの、広義の資本主義における経験可能領域の拡大、第三の審級の不在という論理が使われている。この論理は見事すぎるくらいはまっているが、弁証法的というか、観念が一人歩きしている印象がいなめず、現実の場でのアクチュアリティがうまく描けてないような気がする。
だが、終章で、恥という感情を分析するところはとてもおもしろい。アガンベンによれば、われわれが恥じいるのは、「われわれ自身の存在が、引き受けることのできないもの(逃れたいもの)として引き渡されている(逃れられない)からである」。そこから、他者から「してもらう」という関係が本源的なものであることを導き出している。そして、最後に著者が、テロに対する行動として、戦争に代わるものとして提案しているのが、無条件の贈与だ。
「赦しうること」。それは、今のぼくたちには可能性として認識されていない。荒唐無稽ですらある。だが、それが少なくとも戦争より効果的なのはまずまちがいないところだ。戦争は、それ以上に荒唐無稽なのに、リアリズムだと思ってしまうのが、いまおかれている状況なのだろう。
★★