舞城王太郎『九十九十九』

九十九十九

辞書みたいに分厚い本はたいてい変な本で、それを電車の中で読む人間も間違いなく変な人だ。ぼくが例外でないように、もちろんこの本も例外ではない。

読む前は(清涼院流水が書くような)破天荒なミステリーだと思っていたが、すぐに猟奇でリアリティを保ってゆくタイプの不条理文学だと思い直し、次には清涼院流水の作品を一冊も読んでいないのにこのまま読み進めていってもいいのだろうか(何せ主人公に送りつけられる奇妙な小説(=この小説そのもの)の作者の名前が「清涼院流水」だし、登場人物や場所の名前などが彼の作品からとられている)と不安にかられもしたが、そうやってちまちま思ったことが、何の意味もないと思わせてしまうような、物語のたくらみというか、物語のたくらみのたくらみというか、物語のたくらみのたくらみのたくらみに、圧倒されてしまったのだった。

美しすぎて素顔を見せると相手を失神させてしまい、かつどんな謎も瞬時に解いてしまう明晰な頭脳の持ち主、九十九十九が主人公。彼の生誕からの魂の遍歴が七話構成で綴られるのだけれど、各話はそれぞれ「清涼院流水」から送りつけられた小説という形をとっていて、次の話では「嘘が含まれている」とあっさり否定されてしまうのだ。しかも順序が入れ替わっていて、一、二、三、五、四、七、六の順に語られ、おまけにタイムスリップで主人公が分裂して何人も出てくる。

それでもこういうはちゃめちゃの中からちゃんと「真実」が釣り上げられる。それは惨めさと気高さが表裏一体になったような真実で、九十九は、愛に包まれた架空の世界とどちらをとるか二者択一を迫られるのだ。

「だからとりあえず僕は今、この一瞬を永遠のものにしてみせる。僕は神の集中力をもってして終わりまでの時間を微分する。その一瞬の永遠の中で、ぼくというアキレスは先を行く亀に追いつけない。」

何という美しい終わり方だろう。

★★★★