ニコルソン・ベーカー(岸本佐知子訳)『フェルマータ』

フェルマータ

ちょっとどころではなく、教育委員会の禁書リストに入りそうな、かなり「エロい」小説。時間をとめる能力を持つ男。彼はもっぱらその能力を(読者の期待を裏切らず)女性の服を脱がすことに使う。

といっても彼はそれで対象となった女性を傷つけようとは決してしない。節度をもって、むしろ、まるで映画『アメリ』の主人公のように、その女性の生活に潤いを与えるために、手間を惜しまず愉快ないたずらを積み上げてゆく。

もちろん、彼の行動はきわめてひとりよがりのものなのだけど、その節度のおかげで悪趣味になる一線を越えずにすんでいるような気がする。その一線を踏み越えているのは、彼の書いた「図書館司書マリアン」というエロチカで、読者サービスのためか全文掲載されている。これはちょっと少なくとも電車の中で読むには向かなかった。

『中二階』で特徴的な細部(の美しさ)へのこだわりはこの作品でも垣間見えて、特に時間がとまったときの静寂に包まれた世界の描写がすばらしい。

僕は無音の波頭のくっきりした輪郭を指でなぞり、宙に浮かんだ一滴の海水を爪の先ではじいて散らし、細かな霧粒に変えた。…

「フェルマータ」というのは、主人公が時間の止まった世界を呼ぶいくつかの名前のうちのひとつで、「できるだけ長く延ばす」という音楽用語からきている。その記号は女性の乳房の形に似みえないこともない…。

★★★