J.D.サリンジャー(野崎孝訳)『ナイン・ストーリーズ』
タイトル通り9編からなる短編集。翻訳小説は入り込みにくいものだが、どの作品も導入部が軽快でとても入っていきやすい。
ほとんどの作品に年端のいかない子供たちが出てくるので、その無邪気さを微笑ましく思ったりだとか、辛辣さを含んだユーモアに含み笑いをしているうちにどんどん読めてしまうのだが、最後の最後で、不可思議な謎を残したまま放り出されてしまう。そんな作品ばかりだ。それを象徴するように表紙見開きの言葉は「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに?」という禅の公案だ。
個人的なベストは「感動的で、汚辱的な」『エズミに捧ぐ』。だが、この本を読むきっかけになった『笑い男』も捨てがたい。「笑い男」というのは主人公の少年が属しているボーイスカウト団の団長が折にふれて話してくれる物語で、小さいころ山賊に誘拐されて拷問を受け、見るにたえない姿(「ヒッコリーの実のような形の頭をして、髪の毛がなく、鼻の下には口の代りに大きな楕円形の穴が開いている」)になってしまった。長じて、笑い男は持ち前の才覚をあらわし天才的な盗賊として活躍する…。この笑い男の物語と語り手である団長の恋物語が奇妙に連携しながら進んでいくという話。
★★★