スタニスワフ・レム(沼野充義訳)『ソラリス』
従来の訳はソ連時代のロシア語訳からの重訳だったので、検閲や自粛により省略された箇所が多々あったようだが、こちらはオリジナルのポーランド語版からの翻訳で完全版だ。
映画はタルコフスキー版、ソダーバーグ版両方みていたが、 原作小説を読むのははじめて。読み終えてみて、三者三様という感じだった。タルコフスキーの映画は、原作にない、主人公ケルヴィンがソラリスへ出発する前に地球で家族と過ごすシーンが書き加えられていて、ケヴィンとその妻ハリーとの痛ましい愛からの救済としての役割を果たす。ソダーバーグ版の方は、それに比べると原作に忠実だが、ケヴィンとハリーの愛に焦点をあてていた。
原作の中心は明らかにソラリスの海。人間と異質な知的生物との接触をテーマにしている。ソラリスの海にあらわれるさまざまな現象の説明や、ソラリス研究の歴史に大きく紙幅が割かれていて、正直、この部分は読み進めるのがつらかった。
映画では両方ともラストに鮮烈で印象に残る場面が置かれているが、原作ではケヴィンは地球に帰ることを決めたはずなのに、最後の最後で迷う気持ちを告白する。
いったい何のために?彼女が戻ってくることを望んで?いや、私に望みはなかった。しかし私の中ではまだある期待が生きていた。それは彼女の後に残された、たった一つのものだ。私はこの上まだどんな期待の成就、どんな嘲笑、どんな苦しみを待ち受けていたのだろうか?何もわからなかった。それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、私は揺るぎなく持ち続けていたのだ。
「欠陥を持った神」、ソラリスの海に対する痛切な信仰告白だ。ある意味映画のラストシーンはこのケルヴィンが期待していた何かをそれぞれの考え方で具体化したものと考えられる。
登場人物で一番好きなのはスナウトだ。一番精神的に安定していて学者としての好奇心を適切に持ち続け、他人の痛みも理解できる人間だ。まあ、まっとうすぎて小説にでてくる人間としてはおもしろみがないかもしれないけど。