アントニオ・タブッキ(和田忠彦訳)『時は老いをいそぐ』
3月の末に惜しまれつつ他界したイタリアの小説家アントニオ・タブッキの日本における最新の作品集。
収録されている短編はちょうど9つだし、タブッキ版ナイン・ストーリーズといったところか。『雲』という作品なんかは、戦場で傷ついた兵士が避暑地の海岸で小さな女の子と話すというシチュエーションで、まさにサリンジャー的だった。
タブッキの作品の舞台はポルトガル、インドなど、どちらかというと南寄りの地域だったが、今回はヨーロッパの広範な地域を舞台にしている。そして、物語が物語られている「今」とそこから回想される「過去」の間を行き来する。スイスの高原、マグレブと呼ばれる北アフリカの砂漠地帯、現代イタリアの病院、現代のベルリン、冷戦終結前のパリ、ハンガリー動乱、ソビエト崩壊後のモスクワ、リスボンの高台の植物園、冷戦下のポーランドにおける奇妙なドキュメンタリー映画撮影、クロアチアの海辺のリゾート、テルアビブの老人養護施設、ブカレスト、そしてクレタ島の廃墟となった修道院。
巻頭にクリティアスとされるギリシアの哲学者の「影を追いかければ、時は老いをいそぐ」というエピグラムが掲げられているが、それが示すように影を追いかけるような作品を書き続けてきたタブッキはこの短編集を書き上げてから3年後、60代で命を落とすことになってしまった。合掌。
★★