ジェイムズ・ジョイス(柳瀬尚紀訳)『ダブリナーズ』
たぶん、『ダブリン市民』とか『ダブリンの人々』というタイトルだったら、手に取ってなかっただろう。『ダブリナーズ』の語感にひかれて読もうと思ったのだ。
アイルランドの首都ダブリンを舞台に、そこで生活する人々を描いた15編の短編集。アイルランドの宗教、政治、文化に関する言及が頻出するので、そのあたりを知識としてだけでなくある程度実感として理解できないと、ジョイスがそこにこめた祖国アイルランドに対する愛憎を見過ごしてしまうだろう。もちろんぼくは見過ごした。
もうひとつ、後年の『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』ほどではないけど、ジョイス特有の言葉遊び的な要素がこの作品集の中にもちりばめられていて、それを訳者柳瀬尚紀は日本語で再現しようとしている。それもまた見過ごしてしまいがちで、解説を読んで、なるほどと唸った。
という今まで書いてきたことだと、難解な作品集という印象をもたれてしまうかもしれないが、全然正反対で、市井の人々の情感に満ちた作品ばかりだ。でも、その情感の中に浸りきるのではなく、たくみに視点をずらす。途中まである一人の人物の視点から語っていたかと思うと、ラスト間際で突然ほかの人に視点に移動して、今まで見えてなかったものがスポットライトで照らされたみたいにくっきりと見えてくるのだ。そこにダブリンやアイルランドの土着性と正反対の普遍的なものを感じる。