ダシール・ハメット(小鷹信光訳)『マルタの鷹』
理解できたどうかは別として少年時代に一度読んでいるはずだし、ひょっとしたら大人になってから一度読んだかもしれない。だが、いずれにせよ断片すら覚えておらず、真新しい気持ちで読むことができた。
きっかけはポール・オースターの『オラクル・ナイト』。この中で『マルタの鷹』のエピソードが引用されて、重要な役割を果たすのだ。
そのエピソードは本編とまったく関係ない。主人公の私立探偵サム・スペードが依頼人のブリジッド・オショーネシーに場つなぎ的に昔関わった失踪事件のことを話しだす。何不自由なく妻と子供と暮らしていたフリッツクラフトという男が突然失踪してしまった。数年後別の街で別の仕事に就き新しい家族と暮らしているところを発見された彼は失踪の理由を、建設中のビルから鉄の梁が鼻先をかすめて落ちてきたからだという。それで「良き市民であり、夫であり、父親である自分も、オフィスからレストランに行く道で、落ちてきた鉄梁にぶち当たってこの世から消されてしまうこともある。人間は、そんなふうなでたらめの偶然によって死んでいく。無差別に、そんな偶然から逃れているあいだだけ、生きのびられる」ということがわかってしまい、その新しい認識に自分を適応させるために失踪という道を選んだのだ。
そして、さらに興味深いのが、結果としてフリッツクラフトは以前と似たような生活を送るようになってしまったという事実だ。スペードの言葉を借りると「やっこさんは、天から落ちてくる鉄梁のたぐいに備えていたが、それ以上降りかからなくなると、こんどは降りかかってこないほうの人生にわが身を順応させたんだ」。下手をすると本編以上に深い、人生に対する洞察に富んだエピソードだ。
いやいや、もちろん本編もおもしろい。特にサム・スペードのキャラクター。徹底して内面描写を省いているので、サム・スペードが何を考えているかは、表情と言葉の描写によるしかないんだけど、それが見事にスペードの人間味を描き出しているのだ。その人間の小ささ、臆病さにむしろひきつけられる。
そのほか、たえず殴られて顔から血を流してばかりいるホモセクシャルのレバント人ジョー・カイロとか、一人一人の登場人物がとにかく際立っていた。