チェスタトン(南條竹則訳)『木曜日だった男 一つの悪夢』

木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫)

無政府主義者憎しの一念でにわか警官に採用されたサイムは、偶然無政府主義者たちの幹部会議にもぐりこむことに成功する。議長である白髪の巨漢「日曜日」を筆頭とする7人のメンバーで構成され、サイムは「木曜日」と呼ばれることになる。そして、追いつ追われつの奇妙な追跡劇がはじまる……。

とても観念的な冒険小説。あるいは文化的、宗教的に保守主義者だったチェスタトンが寓話の形で書いた自己啓発書といったほうがいいかもしれない。物語の冒頭、いわゆるわら人形論法的に無政府主義の反対をいくことだけで自分の信念を強化していた主人公サイムが、「日曜日」というまるで神のような存在に翻弄されることで苦悩を味わい、そのうすっべらな主義に「内実」を与えられる。そして、ラストで彼の分身的な存在の無政府主義者の男グレゴリーと和解する。流れは典型的なビルドゥングスロマンだ。まあ、意地の悪い見方をすれば、それは成長というより、もともとポケットのなかに入っていた苦悩をアリバイとして持ち出しただけのようにも思えてしまうのだが。

杖をついて半ば身体の自由のきかない老人に町中おいかけまわされたりとか、象を追いかけたりとか、エピソードがとにかく荒唐無稽でかつさまざまな謎めいたシンボルに満ちていておもしろかった。