最相葉月『星新一 1001話を作った人』
<img src=“http://i0.wp.com/ecx.images-amazon.com/images/I/511zAOf0GtL._SL160_.jpg?w=660" alt=“星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)“class=“alignleft” style=“float: left; margin: 0 20px 20px 0;” data-recalc-dims=“1” />
読む本が、子供の本から大人の本へと移行する時期、ぼくも星新一の作品を手に取った。ショートショートの作品集はほとんど読んだし、それだけで飽き足らなくて、父親や祖父を描いた歴史物も読んだ。そんなに熱烈なファンだったのに、いつの頃からか急激に興味をなくして、本屋の棚も素通りするようになってしまった。まあ、新しい作品集が出なくなったということもあるのだけど。そして、しばらくして訃報をきいたときも、ちょっと早いなとは思ったけど、まあそんなものかという感じだった。
本書は、小説家星新一のはじめての伝記だ。作品からは想像できない彼の人生にスポットライトがあてられている。
本名は星親一。1926年、星製薬の創業者星一の長男として生まれ、当時の一級の教育をさずかりながら級友たちとすごした少年時代。戦争、敗戦、そして父の突然の死。親一は父の事業を引き継ぎ社長に就任する。しかし、事業はもう手のつけられない借金まみれだった。事業の精算を外部からきた事業家(大谷米太郎、ホテルニューオータニの創業者)にまかせ数年で社長の座から退く。数年の雌伏のときを経て、当時勃興しようとしていた日本SF小説界に、彗星のように姿を現し、コンスタントに、奇抜で洒脱なショートショート作品を発表していった。そのあとはだいたいぼくらの知る通りの大活躍だ。
だが、本人には人知れぬ悩みがあったらしい。文学賞と無縁で、文壇における評価が低かったこと、大人向けの小説を書いているつもりが、読者層がどんどん低年齢化して、だんだん子供向けの作家としてみなされるようになったこと、などなど。年齢からくる創作意欲の衰えを感じはじめた頃から、ショートショート1000編を書くということを目標にしたが、それはギネスブック的な記録に過ぎず、文学的評価を高めるのとはまったく別のことだった。
晩年は、過去の作品の寿命を長くするため、古い使われなくなったいいまわしを改訂する作業に取り組んでいたのとことだ。1994年にガンの手術をしたあと、入退院を繰り返し、1996年4月に意識不明になり、そのまま1997年の年末に亡くなった。
『でも、心配することはないのかもしれない。たとえ、肉体が滅びても、海はふたたびいのちを育む。ほんとうの「生命」は残された人々の心に宿り、永遠に生き続ける。たとえ星新一は死んでも、新たな目が未来を見つめる。』(本書より)
読んでたら、無性にまた彼の作品が読みたくなってきた。今なら、ストーリーを追いかけるだけでなく、文章や構成を味わいながら読むことができるだろう。確かに心配することはない。こんなぼくのような舞い戻ってきた古い読者だけでなく、今でも新たな若い世代の読者を獲得し続けているし、世界各国語に翻訳され続けているのだ。