デイヴィッド・アンブローズ(渡辺庸子訳)『リックの量子世界』
SFのジャンルの中でも並行世界ものに特に目がない。タイムトラベルものだとどうしてもいった先の時代の描写とかタイムパラドックスの回避方法なんかに紙幅を費やしてしまうが、並行世界ものは純粋にアイディアを展開できるし、物語の自由度も高い気がする。2009年の終わりから2010年のはじめに書けては、東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』、本書、と並行世界ものが立て続けに出版され、並行世界ファンにとってはうれしいシーズンだった。しかも、『クォンタム・ファミリーズ』三島賞受賞の報が、本書を読んでいる間に届くとは。
さて、本書の主人公リックは美しい妻、息子とともに幸福に暮らしていたが、ある日不吉な予感におそわれ自宅に戻ろうとする途中、妻の自動車が事故に遭い亡くなる瞬間に立ち会う。その衝撃で彼の心は別の世界に飛ばされる。そこは並行世界の中の彼の分身リチャードの身体の中だった。ひとつの身体に二つの心、最初パニックに陥って、精神病院に入院させられたりもするが、分身とはいえ気質も趣味志向も違う彼らが、だんだんお互いを理解しあうプロセスがバディームービーのようで面白い。この世界では妻は健在なのだが(子供はいない)、どうやら不倫をしていることに、リックの方が気がつく。彼らは協力して事態を打開しようとするが……。
催眠術による意識の時間退行なんかが出てきて、ストーリー展開や道具立てはとてもP.K.ディック的なんだけど、ああいうおどろどろしい主観的な内面描写は避けて、こちらは可能な限り客観的に外部から描こうとしている。それは物語を徒な混沌に落とし込まないという点で長所だけど、迫力に欠けるという点では欠点でもありうる。まあ、自分の土俵で勝負しているだけで、これで正解なのだろう。
面白いのは、最後の方で示される、人間は世界の運命を変えることはできないけど、ほかの世界に移動できるという事実というか原理。ここでは並行世界間を移動できる特殊な能力のためにそうなっているという話だけど、でも実は誰でもそういう能力をもっていて、それぞれ自分にとって適切な世界(あるいは不適切な世界)を都度選択していると考えたら、それは決定論と自由意志のテーゼ/アンチテーゼを解決するひとつの方法ということになる。
もうひとつ、ラストで、精神科医という、ほとんどどんな現象でも狂気のしわざで説明できる力を持った人に対し、自分の存在を証明する方法が、ほんとうにエレガントだった。このエレガントさのためにこの小説が書かれたといっても過言ではない。あらゆる美の中で最高の美を賛辞する言葉を最後に付け加えておこう。
数学的に美しい。