宮沢章夫『時間のかかる読書----横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず』
横光利一(1898-1947)の代表作のひとつである、『機械』という、三段組みで詰め込めば14ページにしかならない中編小説を、月1回の雑誌の連載の中で、11年間132回読み続けたエッセイをまとめた本。『機械』本編も収録されている(青空文庫でも読めるが)。
最初の3回は全然違う話題に終始して、実際に読み始めるのは4回目からだ。そこに書いてある『機械』のあらましを引用すると「ある偶然によって、ネームプレートを作る工場で働くことになった『私』が体験した、工場の『主人』の発案による画期的なネームプレート製作の技術を巡って、それを盗み出そうとする者、守ろうとする者によって展開される心理戦」。これだと、虚々実々の駆け引きが入り乱れるサスペンスみたいだが、もっととらえどころがない不思議な味わいの作品だ。
ひとつの冗談、「誤読」と筆者自らがいうように、最初あえて読みを迷走させているような印象があったのだが、回が深まるにつれ、この速度で読み進めなければ気がつくことができなかった細部にスポットがあてられるとの同時に、時間と空間の不確定性、登場人物の「狂気」や身体性の欠如など、『機械』のコアな部分に切り込んでいった。
もちろん、最後まで読み進めても『機械』のすべてが解き明かされたわけではなく、むしろ細部がみえてきたことにより謎は深まった気がする。
考えてみると『機械』は、ネームプレート工場で起きる出来事を、自分が登場人物であることを忘れてまるで本のように読む男の物語だった。この『時間がかかる読書』は彼以外のあらたな読者=語り手を登場させる試みだったといえるかもしれない。そしてぼくらは『時間がかかる読書』を読むことにより、潜在的に次の世代の読者=語り手として開かれる。さらに謎を深めるために。