ティム・オブライエン(村上春樹訳)『世界のすべての七月』
村上春樹の創作の秘密を知りたいのなら、彼が翻訳した小説を読めばいいのかもしれない。人物描写とか会話、比喩などそこかしこに村上春樹らしさの断片がちりばめられていて、翻訳でなく村上春樹の作品を読んでいると錯覚する瞬間が何度かある。
1969年に大学を卒業した同級生たちが、2000年7月、久しぶりの同窓会に集う。戦争、恋、結婚、別離、真実、嘘、病気、死。参加者それぞれの過去と現在の7月が語られる。人生に翻弄される彼らとは別に、それぞれの物語には時間の流れから超越してすべてを見透かしているかのようにみえる奇妙な人物たちが登場する。
戦場で瀕死のデイヴィッドの耳元で救いのない予言をささやきその後も幻聴の中でずっとつきまとうアナウンサー、ジョニー・エヴァー。さえない女子学生ジャンにひとときの夢とそのあとに続く長い幻滅をもたらした身長138cmの「リトル・ピープル」アンドリュー。不倫相手の不慮の死で動揺するエリーのもとにあらわれた謎の警官。乳癌で片方の胸を切除して無力感から家庭を捨てようとするドロシーに冷たい予言をつげて思いとどまらせる、元軍のスナイパーだった隣人フレッド。年齢、容姿はことなるけど、彼らの存在の不気味な感触はみな共通している。たぶん、『1Q84』の中に登場する「リトル・ピープル」という着想の源流のひとつがこの本にあるのはまちがいない。[もともと「リトル・ピープル」という章があるという話をきいて、この本を読もうと思った。]
彼らは秩序を守る側の存在だ。いつ何が起きるかということを完璧に把握して、監視し、時には干渉してそうなるように方向づける。壁と卵でいえば明らかに壁だ。彼らは死こそが常態だから何も恐れることはないんだよと穏やかな声でささやき続ける。それに対して生の側、卵の側があげる抵抗の声はどこか野卑で、しかもその抵抗は長期的には負けることが宿命づけられているものだ。本書は、時間を司るリトル・ピープルとそれを超えようとする人間の間の勝利と敗北をとりまぜた戦いの記録であり、『1Q84』もまたそうなんじゃないかというのが、とりあえずのぼくの仮説だ。