絲山秋子『神と黒蟹県』
黒蟹県という架空の県を舞台にした連作短編。架空地誌には目がないので読むことにした。
黒蟹県は南に海が面しており、それ以外は概ね山間部をはさんで他県に囲まれている。こぢんまりしたかまぼこ形の形だ。作品中元久はないのだが、その立地や雪の描写がなく温暖な気候であることから、山陽地方の可能性が高そうだ。
収録されている作品は8編。冒頭の『黒蟹営業所』は転勤で黒蟹県にやってきた女性三ヶ日凡の物語。彼女の視点から黒蟹県の主に中心街の地理を紹介していく。県庁所在地で中心都市は紫苑市。中心駅の紫苑駅には新幹線も停車する。その東の歴史と文化がある灯籠寺市。東端には新興都市で無個性的な窯熊。
次の『忸怩たる神』でようやく「神」が登場する。
「全知全能の神と言うけれど、すべての神がそうだというわけではない。この神は半知半能といったところだった。とはいえ神にしかできないこともある。たとえば同時刻に二軒の店にいて、カレー南蛮とおかめそばを食べている。身なりや顔立ちにこれといった特徴がなく、見かけた人間の記憶に残らないところも神の神たる所以であった。もちろんそれは神がどこかで見かけた人間に似せているからであって、本来神の姿は柱状節理を成す玄武岩と同じ六角柱であった。」
という神が黒蟹県の土地やそこで暮らす人々に好奇心を持ちいろいろ遍歴する作品がいくつか登場する。『忸怩たる神』では北西部の辺境筆柿村に蕎麦屋の息子連翔に案内されて星型の滝をみて、ひつじ君という魅力的な若者と出会う。4編目の『神とお弁当』ではひょんなことからお弁当のコンテストの審査員をすることになり、最後に神にふさわしい最高のお弁当を手に入れて歓喜する。
他の作品では県内で暮らす多様な人々の内面に分け入り、起伏ある人生の一端や細かな感情のを浮かび上がらせる。『花辻と大日向』では、リゾートで成功した南部の鷹狩町で、世界的なデュオである花辻のひとり中辻えみりが、幼い頃水害で亡くなった祖父母の足跡に触れる。登場人物が相互に関連していて、『なんだかわからん木』の十和島絵衣子は三ヶ日凡が赴任した事業所の所長だし、『キビタキ街道』の雉倉豪は凡の前任者で引き継ぎ相手だ。『赤い髪の男』の宛川光紀は雉倉の幼馴染で、彼が薬師村に移住するきっかけとなった大日向氏というのはひょっとすると花辻の二人を世話した県職員の大日向氏と同一人物かもしれない。
最後の『神と提灯行列』ではついに神が実際の人間に憑依しその感覚、感情の機微を満喫する。神と異なり有限な人間の命。そんな生活もいつか終わりを迎えなくてはいけない。
架空地誌の楽しさだけにとどまらずユーモアと静かな感動のつまった作品集だった。
★★★