市川沙央『ハンチバック』
2023年上半期芥川賞受賞作。単独で販売されてるが、ほぼ短編といっていい長さだ。
いきなりハプニングバーの潜入レポから始まって驚くが、それは釈華というほぼ寝たきりの障害者女性が気晴らしに投稿したフィクションなのだった。彼女は身体的には弱者だが経済的には強者で、親が遺したグループホームのオーナーとして一生の間に使いきれない資産を持っている。記事の投稿やエロ小説の印税で得た報酬も全額寄付しているのだった。
彼女はSNSに秘密のアカウントをつくり、ほぼ虚空に向かって自分の欲望や世の中への呪詛を投げかける。出版社や読書人の紙の本の偏重がもたらす障害者の耐え難い不便さ、産む権利産まない権利の裏面としての障害者殺し、そして論理の自然な帰結として、彼女は妊娠して中絶するという願望を抱き、SNSに書き込む。彼女は生きるために自分の体を壊してきた。「生きるために芽生える命を殺す」のも同じではないか。
その書き込みをグループホームで働く自称弱者男性の田中に見られたことで物語が動いていく。
釈華の研ぎ澄まされたナイフのような語りが弱者は弱者らしくあらねばならないという暗黙の抑圧を打ちこわしていくのだが、それをさらに裏切るかのような物語の企みに満ちたラストがすごかった。