奥泉光『グランド・ミステリー』ebook

グランド・ミステリー (角川文庫)

タイトルや紹介文から、戦時中を舞台に将校が探偵役を務めるミステリーかと思ったが、いい意味で裏切られた。そういう枠組みをはるかに超えるすばらしい作品だった。今年前半に読んだ本で間違いなくナンバーワン。

第一章は、真珠湾攻撃に携わった海軍将校二人の視点から描かれた戦記物の体で進んでいくが、それぞれ謎めいた事件が起こり、ミステリーの予感を孕む。第二章は緒戦の勝利に湧く東京が舞台となり、「日本人と戦争」というテーマが浮かび上がる。最初戯画的に描かれているように見えるんだけど、終盤に入るに従って、ドストエフスキー『悪霊』を彷彿とさせるような活人画のような迫力を帯びてくる。昆布谷、紅頭中将、本多弁護士、鬼頭大佐、この四人が特に印象的だ。

鬼頭大佐が日本人を論じた以下の言葉は、今の日本人にもまさにドンピシャで当てはまる。

「日本人は実体のない幽霊みたいなものだ。ふわふわ浮かんで風の吹く方向へただ流されていく。全体にどこかへ進んでいるのは間違いないが、誰がどこへ進もうとしているのかは判然としない。誰も意志を持たず判断もしないまま、自然にどこかへ運ばれていく。意志もなく、判断もしない者に、意志を変えさせたり、判断を変えさせたりできるだろうか。(中略)日本人は実体のない幽霊。南方のジャングルで野たれ死ぬのも幽霊なら、空襲で焼け死ぬのも幽霊。戦争が終わって、日本列島にまたぞろぞろと湧いて出るのも等しく幽霊の種族だ。やつらは自分がなぜそこにいるのか分からないし、また分かろうともしない。戦争が終わってしまえば戦争で死んでいった人間のことなんか誰も思い出しもしない。誰かの犠牲の上に何かがうちたてられるなんてこともなければ、そもそも過去に人間がいたことにすら気がつかない。自分が湧いて出た場所で、青白い顔で、うらめしや、とでも喚いてそれでおしまい。」

物語の仕掛けは第二章の終わりで明らかになる。微妙に異なる二つの「本」。本書そのものが二番目の「本」なのかもしれない。二番目の「本」ではほとんどの人と一番目と比べて悲惨あ道筋を辿っているが、最後に例外的な幸福なシーンがあり、その部分だけ何度も読み返したくなる。

文学に関する博識を背景に、パスティーシュ的な作品を書く人だと思っていたけど、これだけ凄みのある小説を書く人だったとは。侮っていたようだ。

★★★★