島田裕巳『神社崩壊』ebook

神社崩壊 (新潮新書)

浮世離れした本が読みたかったのだが、のっけから富岡八幡宮の宮司姉弟間の殺人事件という生臭いというか血生臭い話題からだ。神社本庁を離脱していたということから、脳内で勝手に、開明的な女性宮司が守旧的な弟に刺されるという物語をねつ造していたが、実は姉弟そろって浪費家で神社に流れ込む豊富な金銭をめぐる争いが根底にあるみたいな話だった。

そういう豊かな神社は、都会に立地する、参拝客が多く土地をもつ、ごく少数だけで、地方の神社は困窮しているようだ。2016年の調査によると年間収入が300万以下の神社が61%を占め、神社のトップである宮司の年収も300万円未満が60%で他の職業と掛け持ちの兼業が36%いるそうだ。

そういう多様な神社を統括する組織が神社本庁ということになる。形式上単なる民間の一宗教法人であり、すべての神社が所属しているわけではない。事件の起きた富岡八幡宮がそうだったし、伏見稲荷、日光東照宮や靖国神社など有力な神社も所属してない。

歴史をひもとけば江戸時代は神仏習合で僧侶が実質神官の役割を果たしていたところ、明治になり神仏分離の号令とともに神道は教義の内実がないまま天皇を中心とした国家の支柱となるべく国教化される。敗戦によりGHQの指令により政教分離が行われ、宗教法人神社本庁が誕生する。その際、神社本庁は戦前の天皇中心んの考え方を残す形で皇祖神天照大神をまつる伊勢神宮を「本宗」と呼びすべての神社の頂点に位置付けた。このため神社本庁は天照大神を信仰する新宗教であるともいえる。いくつかの神社が神社本庁に参加しなかったのはそのためだった。

神社本庁は政治活動にも熱心で、戦後間もなくから建国記念日制定や靖国神社国家護持などを掲げた保守・復古運動をしてきた。現代でも、総長が日本会議の副会長を務めたり、神社の境内で改憲の署名が行われるなど、その姿勢は変わっていない。(ちなみに、富岡八幡宮の姉弟の父親が日本会議の前身組織を立ち上げたそうだ)。

筆者は神社の最大の危機は天皇の血統がとぎれて不在になることだという。そういう仮想的な危機のほかに人々の宗教離れという一般的な現象があり、そこに富岡八幡宮の事件が決定的な打撃を与えるのではないかという。筆者は二つ解決策を提案している。

神社業界にはいろいろ思うところあるが、空間としては好きだし、歴史や体制にいろいろ興味がある。かつての神社が鳥居しかなかったとか、そこに拝殿と本殿ができたとか、八幡宮の由来などの話がおもしろかった。