ニコルソン・ベーカー(岸本佐知子訳)『ノリーのおわらない物語』
テレフォンセックスを題材にしたり、時間をとめて女性の服を脱がすことを生き甲斐にする男を主人公にする一方、エスカレータで1階から中二階にあがるまでに見たり考えたことを事細かに叙述した注釈だらけの小説をものした奇才がテーマに選んだのは平凡な9歳の少女の日常生活だった。
作風が変わったというわけじゃなく、もともとニコルソン・ベーカーの小説は、特殊な能力やシチューションなどの力を借りて、ふだんは圧縮されたかたまりとしてしか認知されない、ものごとの細部に宿る美や不思議さに目をむけようとするものだった。この小説では、その対象が、頭の中が工事中の子供の世界に向けられたのだ。
学校生活、友達との関係、家庭での出来事、そして空想。実際、自分の娘に取材したらしく、それらがかなりリアルに再現されている。最初は何か特別な個性をもった少女の話かと思うが、だんだんどこにでもいるふつうの少女だということがわかってくる。
その中で比較的重点をおいて語られるのはいじめの話だ。主人公ノリーはアメリカ人でイギリスの学校に通っているんだけど、そこで同級生の女の子がいじめにあっている。ノリーはその子と仲良くしてあげようとするのだ。当たり前かもしれないけど、やっぱりどこの国でもこういういじめはあるんだな。積極的に荷担しなくても、クラスの中に空気が生まれて、いじめの対象の子には近づかないようになる。その空気をうちやぶったノリーはやっぱりすごい子だと思う。ふつうの少女という言葉は撤回だ。
思えば子供の頃は一日がほんとうに長くて、すべてが新鮮で驚きにあふれていた(もちろん逆に恐怖も多かった)。なんでもないことに一喜一憂して、どうでもいいようなことに興味津々だった。そのすべてすばらしいわけじゃもちろんないけど、その細部の中にところどころにちゃんとした大人になるために必要なことが隠されていたのだろう。ちゃんとしてない大人のぼくは、今でもなんでもないことに一喜一憂して、どうでもいいようなことに興味津々なのだった。