小野善康『不況のメカニズム ---- ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ』
米国発金融不況まっただ中の今、タイムリーに不況に関する本を読んでみた。
現代の経済学は大きく2つの学派にわかれていて、ひとつが新古典派で、もうひとつが1930年代の世界大恐慌時に活躍したイギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズを学祖とするいわばケインンジアンだ。新古典派というのはおおざっぱにいうと原理的には需要と供給は一致して売れ残りや失業はありえないと考えていて、一致しないのは供給サイドのがんばりが足りないか、スムーズな価格や賃金の変化をはばむ規制や非効率性がどこかにあるせいだと主張している。ケインジアンは需要と供給はもともと一致しないものだと考えていて、それは人々のお金に対する愛のせいで需要が低水準にとどまるからだと思っている。
ちょっと考えればわかるけど、これら二つの学派は不況への対処方法が180度異なる。新古典派はリストラをばんばんやって効率化を進めて、やる気や実力のない企業には退場してもらおうということになるし(小泉政権下で進められたいわゆる「構造改革」がその典型)、ケインズ派は需要を刺激するために財政出動をしようということになる。経験的にどちらかが効果があるかといえば後者なんだけど、ケインズがもともととなえた理論には不備や穴があって、今では新古典派の特殊ケースを扱う亜流とみなされている。
本書ではその不備や穴を指摘しながら、それに代わる新しい理論的根拠を提唱している。正直、楽しくすらすら読める本ではないけど、全体のまとめにあたる第5章はとてもわかりやすいし、この分だけを読んでも十分本書の意図は伝わると思う。
ケインズは需要を構成する消費と投資のうち、投資に重点をおいて流動性選好(お金を愛する心)からそれが不足する理由を分析したけど、もともと投資は十分資本の蓄積が進んでしまえば不要になるものだ。消費に関しては所得から自動的に求まるといいはるだけで十分な議論をしていなかった。筆者は、ケインズの理論を補強して、流動性選好が消費に対してもきいてきて、消費が減少してしまうのが不況の原因だと提唱する。
現実のいろいろな状況を説明できるし、論理的に明快な理論だと思うのだけど、経済学の素人からみると、この理論に限らずどれも、小学校の算数レベルのことに思えてしまっていけない。「そこ足すんじゃなくてひくんだよ」「うぉー(どよめき)」という感じ。単純化して説明してくれているからなのだろうけど。
閑話休題。結論として筆者は、不況時には構造改革なんて百害あって一利なしで(でもなんか日本人はこういうマゾヒスティックな政策が好きで困る。自分じゃなく誰か他の人が困るのをみたいと思っているのかもしれないが)、有益な公共事業をやったり(穴をほって埋めるような益のない事業は意味がない)、所得の再配分をしたり少しでも消費を刺激すべきだという。また、一部の人たちに人気のあるインフレターゲット(中央銀行や政府が望ましいインフレの水準を宣言して流動性プレミアをさげる政策)もそれを人々が信じる理由がないといって有効性を疑問視している。そして、本格的な景気拡大は不況を知らない次の世代が登場するのを長い目で待つしかないという。
筆者は本書をその次の景気拡大のあとの不況、つまり今から20年以上あとの未来に向けてのメッセージとして書いたといっていたが、その不況は思いがけず早くやってきてしまった。