アルカジー&ボリス・ストルガツキー(深見弾訳)『ストーカー』

ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)

タルコフスキー『ストーカー』の原作。原題は『路傍のピクニック』という意味だが、邦訳では映画のタイトルを使っている。基本的に映画とは別物というか、映画は設定と登場人物を借用しているだけで、別の作品と考えた方がいいかもしれない。だが、それぞれがそれぞれにすばらしかった。

地球上のいくつかの場所に同時に異星人が来訪し、局地的に壊滅的な被害をもたらした一方、他との接触を一切持たずにあっという間に去ってしまった。彼らが去った後も、それらの場所では既知の物理法則を無視したような奇怪で危険な現象が続き、政府や軍は周辺地域を封鎖し、ゾーンと名付けた。そこに、異星人が残した魅惑的で有用なお宝を求めて忍び込む命知らずの男たちがいて、ストーカーと呼ばれていた。映画および邦訳のタイトルは彼らの呼び名からきている。

このゾーンの中の描写がすごい。廃墟というだけでも十分恐ろしげ(そして魅惑的)だが、さらにこの場所で生き残るためには、感覚を研ぎ澄ましてあらゆる変化を感知し、「蚊の禿」、「魔女のジェリー」、「肉挽き器」などの待ち構えている罠を避ける必要があるのだ。その息詰まるような緊迫感がたまらない。

異星人の来訪目的については、登場人物の学者が、ピクニックにやってきてゴミを放置していっただけではないかと、語るシーンがあって、原題はそこ(プラス、ストーカーたちの行為)からきている。そのピクニックという行為の無邪気さと、ゾーンという場所の邪悪さの対比が、ファーストコンタクトもののSF作品としてとてもひねりがきいていると思わせるのだけど、そういう枠組みに収まりきる作品でないのが、読み進めるうちにわかってくる。なにせ、死者がよみがえったり、生まれてくる子供に突然変異を起こしたり、ゾーンからほかの街に移住した人の周りで災厄が起きる確率が増えたりすることが明らかになったり、逆になんでも願いを叶えてくれる黄金の玉が登場したりもするのだ。

巻頭に掲げられたロバート・P・ウォーレンのとても印象的な言葉――「きみは悪から善をつくるべきだ、それ以外に方法はないのだから」(ちなみにせっかく調べたので書いておくと、オリジナルはロバート・P・ウォーレンの代表作 “All The King’s Men” の中の “You have to make the good out of the bad because that is all you have got to make it out of.")。

その言葉を受けると、ゾーンの存在は「悪」以外のなにものでもないことがわかってくる。有益なものも存在はするものの、むしろだからこそ秩序を乱すという限りにおいては、純粋な悪そのものだ。そんな「悪」に対する「善」とはなんだろうか。その答えはたぶん、登場人物の一人が自虐的につぶやいた「無事に生きのびてきたし、将来も生きのびようとしていること」の中にあるのではなかろうか。そうするとラストシーンがもつ象徴的な意味がわかるような気がしてくる。ゾーンという究極の悪をくぐりぬけて、黄金の玉に達すること、それこそが「善」への道の比喩なのだ。その比喩は、一人の個人の生き方についても適用できるし、人類全体の特に科学技術に対する態度についても適用できる。

お勧め★