稲葉振一郎『増補 経済学という教養』
本書は経済学の素人を自認する筆者が同じく素人のために書き上げた経済学の入門書であり、読んだ人がずぶの素人から(筆者のような)筋金入りの素人になることが目標だ。
素人ならではの大胆さというか、不平等(=格差)、不況などの身近な切り口から、経済学内部の対立をあぶりだし、わかりやすく整理している。主たる戦場は不況をめぐるものだ。不況は弱肉強食状態を作り出す、諸悪の根源なのだ。
不況というのは完全雇用がくずれて市場の自己調整メカニズムが働かなくなる状況をさすのだけど、その原因には大きく二つ説がある。簡単にいうと、市場の不完全性が原因という説と、人々が確実性を求めてモノより貨幣を愛するようになってしまっていること(流動性選好)が原因という説だ。前者はさらにその不完全性を仕方のない不可避なものとみるか、効率化でどこまでも改善していけるものとみるかでわかれているのだが、ここではおいておく。
もちろん不況に対する対策も異なっていて、不完全性が原因とみる立場ではいわゆる構造改革でがつんと効率化しちゃえという対策が支配的で、貨幣フェチ説をとる人の間では、財政金融政策でおだやかなインフレをおこして貨幣の価値をさげる(ケインズ政策)しかないということになる。本書では前者の原因-対策ペアを採用する立場を実物的ケイジアン、後者を貨幣的ケイジアンと呼んでいる。
これもまた素人の強みだが、筆者は不偏不党はなんのその、貨幣的ケイジアンにとことん肩入れしていて、そのことを隠していない。目的と手段が転倒した構造改革主義の危うさを指摘しつつ、なかでも、モラリズムに陥って構造改革に肩入れしがちな左翼系経済学者を快刀乱麻で斬りすて、そのバックボーンにあるマルクス主義経済学を丁寧に成仏させようとする。
残ったもうひとつの切り口である不平等については、不平等が問題なのではなく、弱肉強食的な状態のほうが問題で、不況を脱して市場が適切に機能するようになれば、それぞれ程度はちがうけどハッピーになることができる(少なくとも悪くなることはない)、という。市場は本来共存共栄の場なのだ。
ちょっと乱暴だとは思うが、その見事な太刀さばきに、典型的素人であるぼくはほとんど納得させられてしまった。ただ、筆者は所得の再配分の役割をかなり控えめに見積もっているが、素人考えでは、機会の平等を保証したり、そもそも貨幣フェチをもたらしている不安感を軽減したりするためにも、日常的な再配分は必要だと思うんだけど、どうなんだろう。
矢野顕子は「愛がなくちゃね」と歌ったけど、景気もよくなきゃだめなんだよね。