堀江敏幸『回送列車』
堀江敏幸のエッセイを読むのははじめてだけど、はじめてという気がしないのは、これまで読んだ堀江敏幸の小説は作者自身とおぼしき姿がちらつくエッセイ的なものが多かったせいだ。それがぼくだけの印象でなく筆者自らもそう思っていることは、本書のなかで以下のように語られていることからもわかる。
「実際、これまで上梓したささやかな本たちは、いずれも書店では置き場のない中途半端な内容で、海外文学評論の棚にあるかと思えば紀行文の棚に投げ入れられていたり、エッセイや詩集の棚の隅に寄せられているかと思えば都市計画の棚に隠されていたりすることもあるといったぐあいで、書店という特定の路線上にあってなお分類不能な、まさしく回送電車的存在だったではないか」
本書を読むことではじめて、堀江敏幸が既婚で娘が一人いること、岐阜県出身で一時期秋津周辺に住んでいたこと、などの事細かな個人情報に触れることができたわけだが、それでも事実と虚構の境界は明確なものではなく、書かれている題材はどちらも、文学、生活に潤いをもたらすモノたち、主に海外生活のなかで出会った印象的な人々などで共通している。雑駁な印象ではあるが、違いを述べると、小説の方は「私」という存在がまわりの世界から際だつようにある程度丹念に長い息継ぎ間隔で描いているが、エッセイでは「私」は前提条件でありあまり顧みられないことだろうか。
いや、それは小説とエッセイの違いではなく、単なる長さの違いかもしれない。本書に収録されているのは5ページ前後の文章ばかりなのだ。末尾に収録された「リ・ラ・プリュス」をめぐる追記を読んでいたら、これがエッセイなのか小説なのかわからなくなってきた。