小寺信良×津田大介『CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ』
考えてみると「コンテンツ」というのはおもしろい言葉で、テキスト、音楽、イメージ、動画という一見異質なものを包含している。共通するのは形がないということで、それらに形を与えるのが「メディア」というものだ。ぼくらは「コンテンツ」を手に入れる場合、「メディア」に対してお金を払ってきた。そもそも「コンテンツ」という呼び名も「メディア」の「中身」ということからきている。
インターネットというある意味アナーキーなメディアの発達(従来のテキスト、音楽だけでなく、YouTubeの登場により動画がインターネットのコンテンツとして認知されるようになってきた)によって、既存のメディアは多かれ少なかれ影響を受けている。まだうまい共存の仕方を見つけられなくて、なすすべなくそのパイを奪われ続けているか、あるいは過剰に防衛的になってユーザを締めつけようとするか、どちらかに陥っている。これらはあくまでメディアの問題であって、コンテンツの問題ではないのだが、現状、お金はメディアを通してしかコンテンツのクリエータに流れないので、その流れが滞ることによりコンテンツの生産にも影響がでてくる。また、お金だけでなく、メディアの形態の変化がコンテンツに与える影響はとても大きい。
本書は『CONTENT’S FUTURE』というタイトルが示すようにコンテンツの未来について、著者2人と各界のキーマン9人が対話する構成になっているが、登場するキーマンはどちらかといえばメディアよりの人たちだし、語られているテーマも、表層的には『MEDIA’S FUTURE』といった方が近い。というのも、コンテンツの未来について考えるにはどうしてもメディアの未来について考えなくてはいけないし、それ以前にコンテンツとメディアは表裏一体で切り離して論じられるようなものじゃないからだ。
それぞれの対話は粒度も領域も異なるので、何かかっちりしたコンテンツの未来像が描き出されているわけではないけど、共通して抱える問題点を通して、その解決という形で輪郭がおぼろげに浮かび上がる。もちろん解決できないままで、袋小路の未来が待っているかもしれないが、そのあたり著者たちはどちらかといえば楽観的のようだ。
ところで、本書はCreative Commonsの「表示ー非営利ー改変禁止」というライセンスで使用許諾されている。つまり、現著作者のクレジットを表示していれば、営利目的でなく、かつ改変しない限り、自由に公開していいのだ。そのうち有志が、スキャナーで取り込んで、インターネット上で公開してくれるかもしれないし、それが何かコンテンツの未来を変えてゆくきっかけになるかもしれない。そんな風にこの本自身が『CONTENT’S FUTURE』を形作っていったらおもしろい。