内田百閒『贋作吾輩は猫である』
1906年に酔っぱらって甕に落ちた猫が、意識を取り戻すと1949年(文庫の裏表紙に1943年とあるのは間違い)になっていた。たどりついたのは苦沙弥ならぬ五沙弥先生の家。夏目漱石の正典猫と同様、五沙弥家に集まる風変わりな人々の会話を猫の視点から収集する。
正典はユーモラスな作品にはちがいないけど、その背後には神経症的というかパラノイア的なものがあって、それから目を背けるために笑っているように感じていた。端的にいえば目が笑ってなかったのだ。贋作にもある種の不気味さを感じるけど、それは意図的なもので、むしろ好ましくて、笑いを引き立てる絶好のスパイスの役割を果たしている。どちらも戦争から数年後という時代に書かれたのに、勝った戦争(日露戦争)直後の正典が暗くて、負けた戦争(太平洋戦争)のあとの贋作が明るいのは象徴的だと思った。
いくつか気がついたことを書いておく。
名無しだった正典とはちがって、贋作の猫にはアビシニヤという立派な名前がつけられている。
百閒といえば猫好きという思いこみがあったが、この作品を書いた時点(百閒60歳)ではまだ一度も猫を飼っていなかったということに驚いた。
この物語は、出臼、柄楠、魔雛という三匹の犬が出てきて唐突に終わるのだけど、調べてみたらこれは「<a href="デウス・エクス・マキナ」すなわち「劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、いきなり絶対的な力を持つ神が現れ、混乱した状況に解決を下して物語を収束させるという手法」(Wikipediaより)のもじりのようだ。どこまでも、しゃれている。
また、内田百閒の幻想的な短編が読みたくなった。