阿部謹也『ヨーロッパを見る視角』
『「世間」とは何か』では日本の文学作品をてがかりに「世間」の正体にせまったが、本書では「世間」からの離陸に成功したヨーロッパの姿を通して「世間」をとらえようとしている。
ヨーロッパでも11世紀頃までは日本と同じような、贈与互酬関係を基本とする血族単位の集団主義的な社会、つまり「世間」が営まれていたらしい。それが変わったのは、やはりキリスト教の普及が大きな原因だったようだ。つい思い違いをしてしまうが、ヨーロッパにとってもキリスト教は土着の宗教ではなく、外から入ってきたものだったのだ。それが徐々に広まって末端まで普及したのがちょうど11世紀だった。
それまでのヨーロッパの宗教は、日本と同じような祖霊崇拝とアニミズム、呪術からなるような土着宗教だった。ふつう宗教が既存の社会に入り込もうとするときは、その社会の習俗をとりいれて、その宗教自身も変質をせまられるのだが、キリスト教は厳格にみずからの教義を押し通そうとした。まずは、贈与互酬(日本でいうと義理と人情)という集団間の相対的な関係の間に神という絶対的な要素を持ち込んで、結果として「世間」の血脈である贈与互酬関係を解体してしまった。また、祖霊崇拝や呪術を否定し個人としての魂の救済に重点をおくキリスト教の教義が、「世間」から分離して個人というものがたちあがる下地となった。
個人のたちあがりを決定的にしたのは、1215年に成人男女に年1回教会での告白が義務づけられたことだ。これで、「世間」の眼を通して相対的に善悪を判断するのではなく、自分の心を神という絶対的な基準によって内省する態度がうまれ、そこから個人としての意識がうまれた。比喩的にいうと、人は、神を自分の中にとりこむことにより、個人になったのだ。
恋愛もこのころうまれたといってよくて、当時の結婚制度は多かれ少なかれ政略結婚的で、妻は夫の所有物として扱われ、そこには恋愛関係はなかった。そこに「宮廷風恋愛」という若い騎士が夫のある貴婦人を慕うといった形の恋愛がうまれ、物語となって語られるようになっていった。恋愛もまた自省をうみ、「世間」から個人を切り離すものだ。同時に、新しい男女関係のたちあがりは家長制的なそれまでの封建体制を切り崩すことにつながっていった。
商業が復興し、都市がうまれる。都市はその住人を保護し自由を与える。そんな中から自由と平等を旨とする市民意識がうまれた。市民意識には実は排他的な側面もあって、固有の礼儀やしきたりを重んじないものを退ける。特に近代以前の野卑な風俗――グロテスクな身体を徹底的に締め出そうとしている。タウンとガウンの対立だ。ヨーロッパではガウンの文化がタウンの文化を規制している。日本では逆にガウンの文化なんてどこにもない。余談だが、最近がんばっている科学者側からのニセ科学批判は、ガウンからタウンへの反撃といえるかもしれない。
講演録なので、とても読みやすく、論旨だけでなく個々のエピソードがとてもおもしろかった。その中でひとつ、日本語の「禁欲」という言葉はおかしいという話を書いておこう。「禁欲」と訳されているギリシア語の「アスケーシス」とは欲望を抑えることではなく、より高い欲望に向かっていて下位の欲望はどうでもよくなるという状態をいうらしい。
「世間」を越えて「個人」と「社会」がうまれるためにはやはり王道というのはなく、長い時間をかけた積み重ねしかないのだろう。この本を読むと、ヨーロッパもかなり困難な道をたどってそこにたどりついたことがわかる。現代の日本は「世間」が一部機能不全におちいりながらも、それにかわる「個人」も「社会」もまだよちよち歩きの状態だと思う。保守的な人たちは「国家の品格」とか「美しい国」とかいって、「世間」を復旧するために躍起になっているが、もういまさら無理のような気がする。めんどうでも、性に合わなくても、「個人」と「社会」をたちあげてゆくしかないのだ。