武田泰淳『目まいのする散歩』
この冬ひどい目まいが数日間続いた時期があって、その治りがけのある休日、街への郷愁やみがたくふらふらしながら散歩をしたことがあったが、それってまさに『目まいのする散歩』だよなと思いながら、この本を手に取った。
作者の武田泰淳は脳血栓で倒れたリハビリということで、妻の武田百合子(ぼくは彼女の方を先に知っていた)を連れだって、富士山麓の山小屋のあたりや東京都心を気ままに散歩する。といっても、それは8つある散歩のうち最初の2編くらいのことで、残りは子供時代や戦後すぐの若かりし時代を行きつ戻りつ、空間というより時間の散歩をしていたり、倒れる前のロシア旅行について書かれた『船の散歩』、『安全な散歩?』では百合子の日記を引用したりしているので、他人の視点の中に入り込んで散歩していることになる。この視点が定まらない感じが「目まい」という言葉によくあっている。
泰淳はこの本を刊行した年に亡くなっているのだが、ここで描かれる日々はまだまだのどかだ。そんな日々の中からゆらゆらカゲロウのように立ち上る思いや記憶を徒然に記録した作品集だ。