青年団『S高原から』

S高原から
5月で閉館するこまばアゴラ劇場のサヨナラ公演と銘うたれた公演のひとつ。これはいかねばなるまい。アゴラでみる49個目の公演だ。

『S高原から』をみるのはなんと25年ぶり。高原のサナトリウムが舞台という以外ほとんどなにも覚えてなかった。25年前はまだ下敷きとなったトーマス・マン『魔の山』は未読だったのでわからなかったことが今では見える気がする。サナトリウムに暮らす若者たちは不幸な病人というわけじゃなく、相当に恵まれた境遇にある。ここでは、死すら一方的に厭うべきものではなく、痛みがなく穏やかで眠りに近いものなのだ。

「下」の世界では長く感じられる時間がここではあっという間に過ぎ去ってしまう。良くも悪くも慌ただしく変化に富んだ地上の生活からはなれて、選択を求められることのないモラトリアム的な生活(サナトリウムとモラトリアムは韻をふんでる!)に順応してしまうと、そこから抜け出せなくなってしまう。『魔の山』では主人公を連れ出したのは戦争だった。戦争は死と隣り合わせという点ではサナトリウムと似ているが、絶え間ない選択の連続であるところは対照的だ。サナトリウム=モラトリアムと戦争の対照はもしかすると普遍的なものかもしれない。その対照は『S高原』単独では描かれてないが、平田オリザ初期のもうひとつの代表作『東京ノート』では戦争が背景のテーマとなっている。『S高原から』でも『魔の山』でもサナトリウム=モラトリアムは必ずしも肯定的に描かれてないが、戦争を通してみると別の面がみえてくる気もする。

観客にとって劇場はサナトリウム的な場所だ。みている間は選択や決断を迫られることがなく、観劇の目標とされるのはカタリシスという形での治療だ。そんな特別の場所のひとつが失われてしまうことがとてもさみしい。

作・演出:平田オリザ/こまばアゴラ劇場/自由席5000円/2024-04-21 14:00/★★★

出演: 吉田庸、村田牧子、南風盛もえ、木村巴秋、田崎小春、中藤奨、串尾一輝、和田華子、井上みなみ、山田遥野、松井壮大、永山由里恵、大竹直、南波圭、島田曜蔵